私には人生の師匠がいる
師匠の道に繋がって行きたいたいと思っている。
しかし、それは薔薇の道。
渦中に訪れる苦難が大きく多すぎる。
苦難の連続で、こんなの幸せになれる人生じゃないと憤り、師匠の側近のお弟子さんに、この道って本当に正しいのか訴えたことがあった。
・乗り越えられない難は用意されていない。
・難は、あなたを苦しめるために起きているわけじゃない。あなたがそれを乗り越えて幸せになるために起きている
・ガンジス川をある人は水と見る。ある人は火の海と見る。ある人は甘露と見る。
と言われた。
巷でも、よく聞く言葉。
死にそうな状態なのに、どうやって乗り越えろというのかと思った。
ましてや、人として劣悪な言動をする人達を「甘露」として見立ててしまったら、悪を肯定することになり、悪行人の思う壺じゃないかと思った。
一応、実践してみた。
正直、もう死んでもいいやって思ってるし、最後に今世の思い出として大きくジャンプするものを見つけようと思った。
自分にとって、「ジャンプしたなーっ!」って思うのが、遠出して一流の方にレッスンを受けに行くことだと思いついた。また、師匠の元での総会が、奇しくも同時期に同地域で行われることを知り、参加できるか問い合わせたら1人分だけなら準備できると言われ行けることになった。
これまで、見渡す限り稚拙な悪人ばかりの環境。しかし、ジャンプして場所を変えたらこんなに意識の高い素晴らしい人達がウヨウヨいる。数えきれないほどいる。ホッとした。嬉しかった。
そしてまた我が地域に戻る。→酷い目に遭う。
そしてレッスンに行く。→感銘の連続。
この繰り返しが始まった。
そうすると、悪行人たち相も変わらず悪行人なのだが、こちらは変化が起こって来た。
相手は変われないが、こちらは変わっていく。
次元の高い人々の世界を見ると、くだらない悪行に振り回される時間など、私の人生には到底無いことに改めて気づく。そんな時間の余裕なんて人生にないのだ。そうすると、今まで思いつかなかったアイデアも生まれ防御対策が前進した。
甘露とまではまだまだまだまだまだまだまだまだ感じることはできない。
でも、素晴らしい人達と交流することで成長し、自分の階段を何段も🪜上に登った。
そうすると、眺める景色が変わった。
階段の低い所から、問題を眺めている時と、
高い所から眺めるいる時は、
やはり見晴らしが違う。心の揺らぎが違う。
相手の思惑にハマる回数が減らせた。
自分の波長が、どこの誰の波長と響き合っているのか。私は、もちろんジャンプした場所にいる人々の波長チャンネルに切り替えたい。
私を激励してくれた、あのお弟子さんの波長もそうだ。
人のチャンネルを力づくで我がチャンネルへと変えようとする人々だらけのこの地域で生きるには、特別枠のチャンネルを私は持っておく必要がある。
あのお弟子さんが言った言葉を実践してみて、確かに手応えはあった。
何か生々しい手応えがある。
魔法とか奇跡とかそういう変化とは違う、素敵な軌道を見つけた感覚。
あのお弟子さんに感謝である。
ただ、心に爆弾を💣落とされた言動は、どんなに忘れようとしてもフラッシュバックとして蘇ってくる。これは防ぎようがない。どうにもならない。怒りと、苦しみと、もう立ち直れないという気持ちが出てくる。
この時ばかりは本当に自分も制御不能。
でも前よりは、フラッシュバック後の絶望感からの絶命希望率が下がってきたような気がする。気分の切り替えが少し速くなってきたようにも思う。
命を守る包括支援系のホットラインへのヘルプコールも頭をよぎらなくなっている。
前はフラッシュバックの度に、死ぬのを止めようと携帯のボタンを必死で押していた。
これからも、なんとか命を繋いでいきたい。
今日もファイト。