こんにちは、こんばんは。りりあです。

 

完全に忘れてました…。すみません…。

 

てことでレッツゴー

 

 

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朝霞の五社って?

埼玉県の朝霞市にある

宮戸神社、内間木神社、田島神明神社、美女神社、天明稲荷神社

です。
 

そのうちの4社は無人で、御朱印はまとめて天明稲荷神社で拝受できます。

 

 

 

 

宮戸神社

宮戸神社は古くは熊野権現様として親しまれ、宮戸地区の氏神様として祀られてきました。しかし、明治40年の神社合祀令により、浜崎の氷川神社に田島の神明神社と共に、三柱神社として合祀された為、跡地は遙拝所として残されました。 しかし、地元の強い要望により昭和17年、志木町宗岡村の天津神社を移転し天津神社となり、同18年、志木町宗岡村の稲荷神社を合祀し宮戸神社と改称しました。 そして昭和31年、三柱神社(氷川神社)より旧熊野権現社御祭神並びに高麗方(こまがた)神社御祭神を分祀の上、宮戸神社に合祀し現在に至っています

 

~宮戸神社│埼玉の神社~より

 

 

〒351-0031 埼玉県朝霞市宮戸4丁目3−1

 

 

 

 

内間木神社

当社は古来重殿権現社(じゅうどのごんげんしゃ)と呼ばれてきましたが、創立年代は不詳です。明治6年4月村社として内間木神社と改称致しました。 現在の社殿は、昭和57年に旧社殿が昭和54年10月19日の台風20号により倒壊したため、建替えられました。旧社殿には、現在朝霞市の文化財に指定されている大絵馬が天井に所狭と飾られていましたが、現在は朝霞市の博物館に保管されています。 境内入り口の両脇に聳える大きな夫婦銀杏が有名です。

 

内間木神社│埼玉の神社

 

先程の天明神社と御朱印が繋がります。

 

〒351-0001 埼玉県朝霞市上内間木443

 

 

 

神明神社

もともとは久保(現在の朝志ヶ丘一丁目付近)に鎮座していたというが、いつの頃か現在地に遷座。
明治初年に富善寺から離れ、村社列格。
しかし、明治40年の神社合祀令により、浜崎の氷川神社に宮戸熊野神社と共に、三柱神社として合祀された為、跡地は遥拝所として残されました。
当地の人々は合祀に反し、昭和17年に宮戸熊野遥拝所が志木町宗岡村字袋の天津神社を移転した事に習い、その天津神社の御霊を分祀してもらう事で、代わりに当地の鎮守として祀った経緯がある。
昭和31年、三柱神社(氷川神社)より神明神社御祭神を返還してもらい、現在に至ります。

 

 〒351-0032 埼玉県朝霞市田島2丁目7−224

 

 

 

美女神社

「うつくしさま」と親しまれ、祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。一説では「いちきしま」が「いつくしま」となり、「うつくしさま」に転化し、「美女」になったとも言われております。市杵島姫命を祭る神社は全国にたくさんありますが、厳島神社になることが多い中、当社は神社庁が包括する全国約8万社の中で唯一「美女」が付く神社です。
子どもの神様とも言われ、疱瘡やはしか、百日咳になったときは、社殿の大きな鈴についている布を腕に巻いてお願いすると、痕が残らず美女になると言われ、はしかが流行すると列を成してお参りし、病気が治るとお礼参りをして、新しい布を奉納したと言い伝えられています。現在も、赤・白・青の布が残されています。

 

 〒351-0032 埼玉県朝霞市田島2ー16

 

 

 

神明神社と御朱印が繋がります

 

 

 

 

天明稲荷神社

天明稲荷神社の創立はあきらかではないが、もとは柳澤清五郎の座敷神。柳澤家の祖先が山林に白狐の死骸を発見し、なみの野狐ではないことから懇ろに供養し祠をもうけたことにはじまります。
しかし、柳澤清五郎は明治21年に稲荷社のある山林を売却してしまいます。
翌年、柳澤家所縁の老人から
「我は天明年間(1781-89)に妻恋稲荷から箭弓稲荷に遣わされた白狐である。故あって柳澤家を守護する稲荷となったが、稲荷の屋敷をほかに売却したことはまことに都合が悪い。速やかに買い戻すべし。」
と告げられ、高橋源左衛門は周りの協力によりこの地を所有、大正5年に「天明稲荷神社」と命名し、神職となった高橋源左衛門は日々荒行を重ね、神明奉仕に務めました。

 

〒351-0031 埼玉県朝霞市宮戸3丁目2−17

 

宮戸神社公式ホームページより

 

 

 

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