「わたくし舌ガンになりまして…」

本来、絵本ブログなのですが、今回の舌ガンの事では経験者さん達のアメブロに助けられました。

これから新たに病が分かり手術や治療に向かう方が、少しでも安心できるように、また、私自身が『あの時は大変だったよね』と笑って昔話に出来るよう、闘病記録を記事にしておきたいと思います。

【発覚
2016年1月下旬
舌の裏に、薄く切れたようなキズがある事に気がつきました。
ジワァとした変な痛みを1度感じ、鏡で確認して気が付いたのですが、その後は何事もなく気にもしませんでした。

それから半月程して、キズのあった場所に小さな口内炎のような物が。
痛みはなく、柔らかい。
ピンクでプルプルしていました。

疲れやすく、元々口内炎が出来やすかったのもあり、薬局で口内炎の薬を購入。

4月下旬
この頃は多少の違和感が出始めましたが、また同じ場所に口内炎が出来たのだと思っていました。

通っていた歯医者の予約を、仕事が忙しくキャンセル(このキャンセルが発見を遅らせた)

5月下旬
何かがおかしいと気付きました。
私の場合、痛みはなく、読み聞かせも食事も出来ていましたが、たまに話しにくかったり魚の骨を舌で外に押し戻せない事がありました。

舌裏のプルプル柔らかかった物が硬化して来ている事に気がつき、自然に治るものではないと素人の私にも分かりました。
いわゆる、しこり


最初ピンクのグミのようだったそれは、急に大きさを増し、赤と白の斑点が混じり、中心が窪み変色・薄く出血皮膚の膜が壊死したようになりました。

5月30日
掛かり付けの歯科に相談。
歯科医は患部を見ると明らかに動揺し、慌てて県内の大病院である今の病院に紹介状を書いてくれました。

『早くこの病院に行ってください!』
この病院ってガン治療の拠点病院…。

その必死な様子から、緊急を要する事態に自分が陥っている事が分かりました。


【宣告】
翌日、紹介状を持って病院へ。

口腔外科で見てもらうと、視診だけで医師が一言。
『…いいもんじゃない可能性が高いね。自分でも分かってて今日来たよね?』

口腔外科では手術が出来ない案件との事で、緊急で院内の耳鼻咽喉科へ紹介状が用意されました。
そこで主治医のS先生と出会う事になりました。

この極限状態でも、私の頭には『読み聞かせ』の事がありました。

読み聞かせが出来なくなってしまったら…どうしよう。
規模の大きな企画も決まりかけていました。
新聞掲載の話もありました。
(結果としては病気を理由に、殆どの企画の話は無くなりました)

顔を合わせた瞬間から泣く私に、主治医は困ったかもしれませんが、S先生は『俺がやるなら全力でやってやる…けど、俺を選ぶのは○○さんです』と言いました。

生体検査、エコー、CT 、血液検査、肺活量、レントゲン、尿検査…とにかく沢山の検査を猛スピードで行いました。
MRIは翌週。

生体検査の結果は出ていませんでしたが、入院から手術までのスケジュールが即時に組まれ、ジワジワと、現実が襲い掛かってきました。

切除手術と切らない放射線治療どちらのリスクとメリットも話してくれたS先生でしたが『舌への放射線はリスクが高い。俺はすすめない』と、キッパリ。

それと1度目のガンに放射線を使ってしまうと、2度目…つまり再発した時に放射線を使えないらしく、1度目は手術で患部を切り、運悪く再発した時には切らずに放射線も考えたいとの余談もありました。


6月7日
私の生体検査の結果や書類の束が主治医の前にありました。
告げられた病名は、舌ガン

癌としても非常に珍しい稀少癌。
原因不明。

手術は2日後の6月9日

1月に戻っても、あれが癌だったとは分からないと思います。

私は、わりと健康オタクで、食物や免疫に対し常に人一倍気を付けていました。


発病の原因は不明。
年末は色々忙しく疲れていました。

免疫が低くなった一瞬の隙に、自分の弱点だった口内粘膜が攻撃されたという事だったのでしょう……。

私の舌は元々大きかったのか、左側に余って寄っていました。

舌を噛む事もたまにあったし、朝起きると上の歯と下の歯の間に舌が挟まっているなんて事もありました。

猫舌で、揚げ物の衣にも弱く、衣が上顎の皮をボロボロにする事も。

歯の治療で麻酔が腫れる事も常でした。


…つまりは、口内粘膜が弱い人間だった訳です。

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