P207

第六章 三木清とディルタイ解釈学

歴史哲学と「歴史的理性批判」

はじめに

P208 しかも三木が機会あるごとに言及した神学者のシュライアーマッハーについて考察するならば、ディルタイとの関係を抜きに語ることができないだろう。

P209 三木の哲学的思索の到達点は、遺稿「構想力の論理」にあり、「歴史の理性は構想力」であるというテーゼである。

三木は、一時期高く評価した弁証法の論理の意義を修正し、弁証法の論理にかわり「構想力の論理」を提示するようになる。要するに歴史は理性にではなく、構想力に従ってつくられるのである。この試みは「歴史的構想力の批判」という新たな構想として解釈することができる。

P210

一 「批判哲学と歴史哲学」における「歴史的理性批判」の内実

卒業論文「批判哲学と歴史哲学」のなかでカントの理性批判の限界を指摘して「自然概念と自由概念とを(・・・)媒介するものは「歴史的理性の批判」でなければならぬ」と主張しているように見える。

三木は、ディルタイ哲学ではなく、新カント学派のリッカート(リッケルト)の影響下で、このような論考を執筆していたのである。

かくて「純粋理性批判」と「実践理性批判」と媒介するものは「歴史的理性の批判」でなければならぬと結論づける。

P212 

二 ドイツ留学中のディルタイとの出会い

第一に、レーヴィット*やガマダーらから、三木はどのようなディルタイ解釈や評価を聞かされたのだろうか。

*カール・レーヴィット(Karl Löwith、1897年1月9日 - 1973年5月26日)は、ドイツの哲学者。ドイツ系ユダヤ人[1]。日本で教鞭をとったこともある20世紀を代表する哲学史家である。

P213 私(三木)はレーヴィットによって単に哲学のみでなく、広くドイツ精神史の中に導き入れられた。ディルタイとか、さらに遡ってシュレーゲル*やフンボルト*などに対して私の目を開いてくれたのはレーヴィットであった」

*世界の諸言語を類型(type)によって分類することを類型的分類(typological classification)と呼ぶ。

*19世紀に、シュレーゲル(Friedrich Schlegel)やフンボルト(Wilhelm von Humboldt)が諸言語を孤立語(isolating language)、膠着語(agglutinating language)、屈折語(inflecting language)という三つの類型に分類した。この三分類は全く厳密なものではない。

 

P215-216 ディルタイは、・・・ カントの天才とその創造的能力について次のように語っている。「ドイツ超越論哲学はすべての領域において、人間本性の創作的能力を再び承認させた。ここには、カントから始まって、カントの周囲の全ての人を高揚させ活気づかせた。人間に関して自己を内的に知るという態度の大いなる息吹が存在する。

P216 カントによれば、天才とは芸術に規則を与える生来の創造的能力である」と指摘している。

このことは、三木がディルタイの天才論を媒介として、カントの構想力の意義を再発見したことを意味している。

P217 カントによる「歴史的理性の批判」からディルタイによる「歴史的理性の批判」へと思考を転換させただけでなく、哲学と心理学との関係に対する懐疑を抱かせるきっかけを与えたように思われるのである。

ヨルク伯は、「哲学は---まさしく、それが批判的哲学であるとしたら----歴史性を無視することはできません。なにしろカントの批判的でない批判全体はただ歴史的に理解され、それゆえ克服されるのですから、・・・哲学することを非-歴史化することは、方法的関係からみれば、一つの形而上学の残滓だと思われます・・・」

P218 ここで三木は、ディルタイが思弁哲学者や形而上学者、生の哲学者ではなく、哲学と歴史的事実に基づいた科学者として哲学的営みを展開している点に積極的意義を見出しているのである。

P219 

三 「ディルタイの解釈学」をめぐって---偉大なる哲学史家

三木は、・・・ ディルタイ解釈学における「歴史的理性の批判」の意義を強調している。

P220 彼に関する文献が揃わないゆえに・・・そこで私は今しばらくディルタイについて書くことを控えようと思う。

しかし、この告白は額面通りに受け取ることができない。

P221 三木は、ハイデガーからディルタイ哲学に対する批判的で否定的な見解を学んだ可能性がある。また、ドイツにおける活発なマルクス主義の影響を受け、・・・ その限界を自覚した可能性がある。

P222 要点を単純化すれば、「一」および「二」の叙述は「解釈学成立」のダイジェスト版といってもよい。

P223 しかし、著者の真意は、三木が無断引用を行っているとか、研究者倫理に反すると指摘することによって、彼を貶める意図はない。むしろ著者としては、彼がどれだけディルタイを熱心に読み理解し、その内容を丁寧に読者に伝えようと腐心していたかを指摘したいのである。

P224 ディルタイは「偉大な哲学者」また「偉大なる哲学的解釈学者」と言えないだろうか。次に、この疑問に対する回答に迫ってみたい。

P224

四 「ディルタイの解釈学」をめぐって---哲学と歴史科学との結合の鎖

解釈学的探究による「認識論は、ディルタイにとって純粋な理性の批判でなくして、むしろ歴史的なる理性の批判であったのである。

「解釈学は「哲学と歴史的諸科学との間の重要なる結合の鎖であり、精神科学の基礎付けの仕様なる部分である。」ディルタイの哲学的努力の最大の目的は精神科学の基礎付にあった」と彼は強調している。

「解釈学およびそれと結合した批判的方法は・・・むしろそれなくしてはいかなる精神科学も成立し得ない」

P228 

五 「ディルタイの解釈学」をめぐって---生の体験・表現・理解

三木は、・・・ 「生とはまず自我と彼の環境との間の作用連関である」と説明している。

彼は生の契機を三点に絞って考察している。第一の契機は「体験」である。

P229 次に三木は、生の第二の契機を「表現」に見出している。彼によれば、体験が生の内化であるとすれば、表現はその外化である。ディルタイは後者を生の客観化(die Objektivation des Lebens)とも呼んでいる。

P230 生の第三の契機は「理解」である。三木は、理解が生の統一の方向にあることを指摘する。理解は外化した勢いを取り戻すのである。芸術・学問・宗教・国家などは、生の客観化として把握される。

P231 「へーゲル化したディルタイ」の発想と通底する・・・

「歴史的分析と心理学的分析との結合」「精神科学序説」第一巻)、すなわち「この結合が精神科学の具体的な方法としての解釈学である」

等閑

P232 三木はディルタイによる「解釈学のアポリア*」とその解決を取り上げている。

*アポリア:アリストテレス哲学で、一つの問いに対する答えとして相反する二つの見解が等しく成立する場合をさす。「行き詰まり」「問題解決能力の欠如」「困惑」「当惑」の意味)は、. 哲学では、哲学的難題または困惑の状態のこと。

P243 

第七章 マルクス主義とディルタイ批判の変遷

科学批判から構想力の論理へ

はじめに

P244

一 マルクス主義とディルタイ哲学――科学批判の所在

本章では、マルクス主義に依拠した三木のディルタイ評価に立ち入ることにする。

P245 マルクスが「哲学はプロレタリアートを止揚することなくしては実現され得ないし、プロレタリアートは哲学を実現することなくしては自己を止揚し得ない」、といった言葉に多少の解明を与え得た。

P247 第一の疑問として、この「基礎経験(Grunderfahrung)」は赤松常弘の主張するように「これはハイデガーにはないもの」なのだろうか。

ハイデガーは「オントロギー(事実性の解釈学)」・・・

三木の「基礎経験」はハイデガーに由来する「根本的経験」ないし「根本経験」から学んだ概念であると理解することが可能であろう。 

P248  戸坂によれば、「三木哲学はマルクス主義に哲学的基礎を与えると称して、例の基礎経験(これはディルタイからの借り言葉である)というものを回る人間学を持ち出したが、それも実は歴史哲学の一つの亜種*として出会った」という。

*亜種(あしゅ)とは、生物分類における種より下位の区分の一つ。新ラテン語もしくは英語の "subspecies" の和訳語で、しばしば subsp. や ssp. とも略記される。

ディルタイによるほぼ唯一の「根本経験(grunderfahrung)」は自己と他者との相互理解の前提をなすという意味で「根本的であり基礎をなす経験」である。

P250 ハイデガーは・・・こう語っている。「本来は歴史と神学に根ざしているディルタイでさえも、明らかにカント的系に依拠して、精神科学を「歴史的理性批判」として定式化するのである。

P252 彼(三木)はディルタイに「歴史的社会的科学の批判」の役割を期待しているのである。卒業論文執筆の段階で自然と自由との統一の試みとみられた「歴史的理性の批判」の構想は、ここでは「歴史的社会的科学の批判」として評価し直されている。

「ディルタイの尊敬すべき著作「精神科学概論」(「精神科学序説」第一巻)は1883年に世に出たにも拘わらず、ヘーゲル主義者であるがゆえにマルクス主義について顧慮しなかった」と批判している。

P253三木がディルタイを評価する決定的な論点は、「精神科学序説」第一巻で展開された人類史の発展に不可避な形而上学に対する批判の試みにある

P254 三木がディルタイに期待した「歴史的社会的科学の批判」の試みは、実り豊かな人間学的地平から内的で狭隘な心理学的次元へと後退した。それゆえ三木は「あれほど生の歴史性を高調しながらディルタイは終にこの歴史性を見捨ててしまった」ことに根本的な問題があると指摘する。

P256 言い換えれば「基礎経験」を最終的に「無産者的基礎経験」に限定したところに、三木の思索の特徴が顕著に現れている。

P256

二 「歴史哲学」における「歴史の基礎経験」と「歴史的生」---「哲学の出発点」

P257 ドイツから帰ってまもなく、どういう方向に研究を進めるのかと私(戸坂)が尋ねたら、ディルタイからその固有な制限を取り除こうと思っていると応えていた」と記している。

最初に確認すべき点は、「歴史哲学」の正確な理解に不可欠の事実関係にある。それは全集第六巻所収の「歴史哲学」(1931年執筆)と全集初版の完結後に収録された論稿(論文の原稿)「歴史哲学」との異同についてである。

P258そこで本節では、「歴史哲学」の論述に的を絞って樹人渋滞との関係に立ち入ることにする。

P258 三木は・・・歴史哲学の理論における重要な三つの概念、すなわち「事実としての歴史」「存在としての歴史」「ロゴスとしての歴史」に関連して、ディルタイの見解との相違点を考察している。

「もしこれらの三つの概念に相応するものを他に求めるとすれば、ディルタイがその・・・ というすぐれた論文の中で生の三つの契機としてあげた体験、表現及び理解という三つの概念があるであろう。

P259 第一の検討すべき論点はディルタイの「歴史観のうちに含まれている解釈学的、有機体説的思想を批判」する試みにある。・・・ このことはすでにみたとおりである。

P260 第二の検討すべき点は、有機体説と結びついた「典型(Typus)」および「比較」の方法にある。三木はこれらの概念が「比較は常に美的であり、つねに形態を離れない」と批判している。

P260 「概念とは一つの典型Typusを言い表すものである。それは比較という手続きによって成立する。・・・ ここでは、「典型および比較の方法が、学問概念の構成に不可欠の手続きに属する事が明言されている。

第三の検討すべき点は、三木の歴史哲学の理論における重要な三つの概念「事実としての歴史」「存在としての歴史」「ロゴスとしての歴史」に関する疑義にある。彼の根本概念に対する疑問は、ディルタイによる「事実」の理解とも関連する。この点については、神川正彦による三木批判が参考になる。神川によれば、「三木清は歴史叙述の立場からすると、存在としての歴史は自己の出発点ではなく、むしろ自己の到着点である」という。

P261 同時に神川が 「ありのままの事象」と呼ぶ「歴史の土壌」とは、ディルタイの用語で言えば、「歴史的生」の概念にあたることを確認しておけばよい。これについては、のちほど立ち入ることにする。

三木は「三、解釈学的立場の根底をなすものは有機体説である」と指摘するとともに、「有機体説は美的感想的態度とつながっている」と述べている。

P262 三木によれば、ディルタイはゲーテ的な「形態」もしくはディプスを発見しようとしたのである。

P263 「体験と理解によって我々に明らかになるものの総体は、人類全体を包含するような

連関としての生である。われわれにとって、つねに精神科学の出発点であるばかりか、哲学の出発点でもあるこの大きな事実にまずもって直面することによって、・・・この事実そのものをそのままの状態において把握しなければならない」

神川における「ありのままの事象」とは、ディルタイの術語で言えば、「歴史的生」そのものを意味する。

P264著者によれば、この人間の存在の根底とは、「歴史的生」を意味する。このように解釈することによって、ディルタイの「歴史的生」のもつ根源性も理解可能となるであろう。この文脈から言えば。三木が主張した「事実というものは単に意識ではない。寧ろ事実は意識を生むものなのである」という「事実」とは、ディルタイの「歴史的生」と異なるものではない。

P264 湯浅は「基礎経験」と「事実」とは広義で同義と解しつつ、他方で「歴史哲学」では、一定の時代に一定の条件の下で、時代に対する明確な歴史的意識を与える「事実」が、特に「歴史の基礎経験」と呼ばれている」と解釈している。

P265 だが、著者は「事実」としての歴史は、存在としての歴史のいかなる歴史的時代の根底にもある。

そのことによって、湯浅が示唆した「自我のかくれた底」にある「事実としての歴史」が「環境の概念が根源的には事実としての歴史、即ち存在としての歴史の存在の根拠の基礎」にあることの豊かな意味も看取できるであろう。

P265

三 「世界観構成の理論」----「預言者的哲学」による批判の試み

「世界観構成の理論」では、三木の哲学観とディルタイの哲学観との対話と対決がより明確に示されている。

P266 「世界観構成の理論」という論考は、タイトルから明らかなようにディルタイの「世界観」(Weltanschauung)および「世界観学*」(Weltanschauungslehre)と深い関係がある。

P267 ちなみに、ここで三木が主要な考察対象にした「世界観の類型学*  *  」とは正確に表記すれば「世界観の諸類型と、形而上学的諸体験におけるそれらの類型の形成」(1911年)と言うタイトルの文献である。

*  世界観学:(せかいかん、独: Weltanschauung、英: worldview)とは、世界を一体的に意味づける見方[1]。一般に、人生観より広い範囲を包含し[1]、単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものであり[1]、情意的な面、主体的な契機が重要視される[2]。

生に根ざした世界観の内的構造や歴史的に展開される類型を捉えようとする哲学的立場。ディルタイに代表される。簡単に言うと「世界を説明する」ということ。

*  *  類型学:個々の存在や現象の間の類似点を抽出してそれらの本質を理解しようとする学問の方法。 生物学・心理学・言語学・文化人類学・芸術学などにみられる。

 

P267 その過程で彼は、自身の哲学観として「預言者的哲学」を提示し、他方で「諦めと懐疑の気分が支配している」ディルタイ哲学を克服しようと試みている。

とりわけ19世紀後半以降、形而上学と非合理的な生の哲学に続き、それらに対する批判的な世界観は、経験主義的、実証主義的な抵抗や心理学的な世界観、マルクス主義的哲学による新たな世界観の興隆を促すことによって一種の「世界観の争い」に直面していた。

P268 それでは、三木はどのようにしてディルタイの「世界観の哲学」を克服しようとしたのだろうか。彼によれば、世界観の立場に対する批判として「無世界観的であるべき事を主張する弁証法神学」の立場は痛烈な時代批判の意味をもっている。

P268 したがって、「ディルタイの世界観論の中心思想の根底に見られるのは明らかに、有機体説的、連続観的、表現論的、類型学的等の、ロマンティックと共通類似の思想であって、我々の単純に与し得ないものであるというのである。

P269 第一に、「ディルタイにおける歴史的意識は、先ずいわゆる歴史主義に、詳しく言うと歴史的相対主義に陥っている」のである。第二に、「歴史的意識は、ディルタイにおけるその相対主義的傾向とも関係して解釈学的立場と結び附いている」・・・ 

P270 第一に、「世界観は単なる認識の要求から発生するのではなく生の全体のうちにその根源を持っているというディルタイの説を認めなければならぬであろう。・・・ 第三に三木は「世界観の土台は常に一つの世界像」であるというディルタイの主張にも異を唱えている。

したがって「世界観が世界像を含む必然性と共に世界観における固有なものが主体的な意識であることが示されなければならないのである。

P271 三木の「他とパトスを共にすることSympathieによって真に性格的となる」という主張は今日あらためて注目されているハンナ・アーレントの共通感覚ないし共同体的感覚のアイディアを先取りした見解が看取できる。

P272 第二に、・・・ ディルタイの如く世界像と世界観との関係を単に有機的連続的に見たのでは、何故そこに歴史的自省が可能であるかも充分に説明されない」

P273 世界観と世界像との区別について、ディルタイはつぎのように説明している。「彼ら(ギリシャ人)は、天体を神々と見なし続けはしたが、世界像(Weltbild)そのものを純粋に科学の操作に服従させる用意ができていた」

P274 マックリールによれば「世界像は世界観(Weltanschauung)の一つの側面にすぎない。それは特に認知的な要素を構成している。

ここにおいて、世界観学はディルタイのいう歴史的自省の意味を持たねばならぬと言うのである。ディルタイによれば、哲学者が遂行する歴史的自己省察」とは自己と他者との、自己と社会および世界との共通の根源に向けられた探求に他ならない。

P275 ディルタイは、世界観学の課題について、次のような明確な説明を与えている。彼は、「世界観学の課題は、相対主義に抗して宗教、詩、形而上学の歴史的経過を方法的に分析することにもとづいて人間精神が、世界と生の謎に対してとる行動形態を描くことである」

P276 フッサールによれば、ディルタイの立場は厳密な学としての哲学ではなく、世界観としての哲学の立場であり、それは歴史主義に依拠するかぎり相対主義や懐疑主義に陥らざるをえないのである。それに対してディルタイは、二人の間の往復書簡のなかで、自分は歴史主義者でも懐疑主義者でもないと語り、「いったんは」両者のあいだで「合意」が形成されたのである。

P276 マックリールの解釈は正確に的を射ている。・・・「ディルタイが形而上学を攻撃したのは、ほかならぬ、科学に対する懐疑論を阻止するためなのであった」と指摘しているのである。

P277 彼(三木)は、危機に直面した現代思想の担い手として「世界観構成の理論」ではマルクスと弁証法に、「ニーチェと現代思想」では、ニーチェと彼の哲学者としての役割に重ね合わせるような記述を試みている。

P277 三木による「世界観構成の論理」から「構想力の論理への道がほのかに見えてくる。すでにみたように、彼は「世界観構成の理論」のなかで、ロゴスとパトスとの統合の可能性を弁証法的統一の論理に見いだしている。しかし、この論理は徐々に修正された弁証法的統一の論理からロゴスとパトスとの統合の可能性が「構想力の論理」として構築されることになる。それは、ハイデガーの超越論的構想力とディルタイの想像力の理論とを再構成することによって、カントの構想力論を歴史的構想力の論理として展開するのである。

 

続く