ここ数日は本当に素晴らしい日が続きました。
数カ月の練習期間を経て、松島のマラソンを走り切れた事も然りですが
私のお店は、私が始める前は母親のお店でした。
自慢ですが、とっても素敵な母です^^
母のお店の色があり、私のお店の色があります。
たくさんの人が行きかう毎日の中で、何人かは母が生きているころからお店に来てくれる常連さんがいます。
私はその方たちから、私の知らないお店の事や、母の事、まだなにもわからなかった頃にはコーヒーの事も教えてもらいました。
あきちゃんが始めたばかりのころは美味しくなかったけど、今は美味しくなったね~、なんて、冗談を言い合えるくらいの月日が流れました。
その中でも、大好きな大好きな方の一人に薬屋さんがいます。
その人は、越中富山の薬屋さん。
月の半分を富山で、月の半分を岩手は一関で暮らしていました。
私の住む町から車で約40分。
一関にいる期間は毎週遊びに来てくれていましたが、お客様に薬を配達に行くついで、と言いながら、本当は今日はコーヒーだけ飲みに来たんだよ、と言ってくれる日もありました。
私のおじいちゃんと同じ年で、来年で90歳になります。
ずっと現役の社長さんで、いつでもしゃきっと背筋も伸ばし、白髪の本当に素敵な紳士です。
たくさんの事を教えてもらいました。
東京生まれの方なので、東京大空襲を経験されていて、生きた戦争を聞いたのも初めてでした。
なかなか仕事が慣れなくて、辛いと思ったときはいつもタイミングよく遊びに来てくれて、本当に心に染みる言葉と、長年の経営者の経験を通して身になる時期に、身になる言葉で教えてくれました。
隣の席の女の子が恋愛で悩んでいると、辛いんだね、私が人生でもっとも辛いと思ったのは昭和20年の頃で…なんて、途方もない話で、あの時はなんだかみんなで笑ってしまいましたね。
あの時、薬屋さんが言ってくれた、「辛いっていうのはね、色々あるって事のひとつなんだよ。そしてね、人生は振り返ってみると、色々あったほうが楽しかったなって思えるんだよ」
って、あの言葉に何度救われて、何度頑張れたか。
そんな、素敵な人です。
毎週、ヘタしたら毎日に近いくらい来てくれていた薬屋さんが、ぱたりと2月から来なくなりました。
ご高齢なので、本当に嫌な予感が拭い去れなくて、悪い事は考えたくないと思いながら、会えない日が続くと余計心配で、頭から離れる日が本当になかった。
何度も、もう一度でいいから会いたいって思った。
何度も、カウンターに座っている姿を思い出した。
何度も受話器を取って、勇気がなくて置いて、何度も一人でありがとうを伝えたくて泣いた。
そして、8カ月が経ちました。
薬屋さんは、私よりも私のお店の歴史を知っている人の一人。
母がいたころから。私のおじいちゃんがいたころから、お薬を届けてくれていた。
律義で真面目で一途で一筋。
この道60年て、聞いたことある?
そんな薬屋さんが、8カ月ぶりに会いに来てくれた。
んもー、号泣。28歳、もうこんなに泣くことはないだろうw
なんでも、急に体調を崩されて、療養のために商売をたたんで富山に急きょ帰られたそう。
そして、少し落ち着いたので、東北でお世話になった方、全部は回れないけど、お礼しに車で一人でやってきてくれた。
「まめやさんに忘れられたら困るからね」って、笑いながら、いつものあの軽快な口調で、力強い声で。
この、律義さがこの人の商売を成功させたのだろうな。
湧き出てくるような優しさが、どんな相手の話もしっかり聞き役になるあの姿勢が、いつでも穏やかで微笑んでいる変わらない大きさが、私たちを安心させてくれて、90年間も休まず魅力的でいられたのだろうな。
出会ってくれて、会いに来てくれて本当にありがとうございました。
今迄みたいに会えないけれど、今度は私が会いに行こう^^
この道始めて丸7年。絶対に、投げ出さない。薬屋さんがいつまでも新しい事に挑戦し続けたように、
私も人生コーヒー、勉強し続けます。
教えてくれたこと、絶対無駄にしないで頑張ります!
薬屋さんが、今日も元気で幸せでありますように。