私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。そして、太陽は毛の荒布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。

 そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが、大風に揺られて、青い実を振り落とすようであった。

 天は、巻き物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山や島がその場所から移された。(黙示録 6:12-14)

 

 だんだん昼夜がひっくり返って、朝起きられなくなってきた。

 真夜中に車椅子でコンビニに行って、誰もいない、店員もスタッフルームに入っていて姿を見せない店内をぐるぐるする楽しみを覚えた。そして酒を買って帰って飲むと、夜が明けてしまう。せっかく早寝早起きの習慣ができていたのに、ダメダメだ。

 今月はとうとう一度も日曜礼拝にいけないで終わってしまった。この前の日曜日も目が覚めると昼だった。こいつはイベントがあるときしか教会に来ないと思われているだろうな。  

 10月は崔牧師夫妻が韓国へ里帰りをされていて、歌会もなかった。

 聖書を読むのだけは毎日続けている。目が覚めると、必ずLINEでジェリーさんのメッセージを読んで、今日の聖書の頁を開く。その後、時間があるときは、崔牧師からの、1年で旧約を1回、新約を2回読めるように組まれた毎日の予定表に沿って読み進めている。私はこの予定表で読み始めてもうすぐ2年になるがまだ終わらない。入院中にかなり進んだけれど、その後は少しずつしか進まず、いまは1年間で言えば10月のところにいる。でも去年からの10月だからほんとの10月じゃない。

 吉見百穴に行った次の日、障害者のサポートをする事業所「いわはな」さんの送迎サービスを初めて利用して、市役所に行った。用事がすんだら帰りは障害福祉課で予約していた車椅子を借りて、自分でのんびり車椅子をこいで帰ろうと思って片道だけ頼んでいた。しかし車椅子だと1時間もかかるし、急ぎの用がたくさんあるのでやっぱり送ってもらって帰りたいな、と思ってそう言ったら、係のTさんは「いったん戻って車椅子を載せられる車両を持ってきますよ」と気軽に引き受けてくださった。車椅子を載せられる、というのは、車椅子をたたんで後ろのトランクに載せて自分は席に座るのかと思っていたが、実際は背中にゴムを引っかけて、リモコンで車椅子ごと引き上げる車両だった(しかしリモコンがこわれていたのでTさんが傾斜を押しあげてくれた)。こういう車両だったら、別に利用証なんてなくても、見た通りだから車椅子用の駐車場に駐められるだろうな。車で送ってもらったときに、運転する人の便宜をはかって、車椅子用駐車場利用証を獲得するためにはどこかの病院に行って診断書を出してもらわなくてはいけない、と思い込んでいたけど、「いわはな」さんに頼めばそんな心配はしなくてもすみそうだ。料金は1時間で500円だ。とてもありがたいサービスだと思う。

 2週間後に市役所に車椅子を返すためにまた送迎を予約した。それから何日も経たないうちにまた、プリンタを買いにいくために、ヤマダデンキに連れていってほしいと思って「いわはな」さんに電話したら、留守電だった。メッセージを入れたら、その日のうちに折り返しTさんからかかってきた。「30日ならあいています」と受けてくれた。こわれたプリンタをヤマダデンキのリサイクルボックスに出したいと思うのだが、階段を降りるのに、私は手すりと杖で両手が埋まってしまい、プリンタはリュックに入らない、と窮状を話すと、「もちろん、私が下ろしますよ」と言ってくださった。ありがたい。送迎だけだったら、近所の誰かに頼んでプリンタを階段から下ろしてもらわなくてはいけないかもと思っていた。

 今日、受信ボックスを開いたら、編集者から「請求書の書名が違っていますから、修正して送り直してください」というメールが来ていた。書名が違っている!見たら、請求書にはまだ納品もしていない、現在校正中の本の題名が書かれていた。請求すべきなのは、同じ作者の、同じシリーズで、数か月前に校正した本だった。似たタイトルで、今校正している本と2文字だけタイトルが違っている。私は昔からいろいろトンマなことをやらかしてきたけど、最近輪をかけてひどくなっているような気がする。もう私はこわれかけているんじゃないか。

 請求書の書名を直した後、家のプリンタがこわれているので、コンビニに行って請求書のファイルをネットプリントしなくてはいけなかった。これは作業はかんたんだがコンビニに行ってプリントしないといけないのがめんどくさい。昨日も同じことをやったのだ。車椅子を借りておいてよかった。ついでにその本と2文字だけ違うタイトルの本の校正が終わったので、ゲラをコンビニから送った。戻ってきて、プリントした請求書に印鑑を押してから、スキャナで読みとってPDFファイルを作ろうとしたら、何度やっても太い黒い帯が同じところに入ってしまう。昨日はそんなことなかったのに、どうしてだろう。ネットで、同じようなことになっている画像を探してみると、スキャナーの光センサーの一部のブロックが壊れたらしいということがわかった。10年以上使っている古いスキャナーなので、寿命ということなのかもしれない。しかし、どうしていろいろなものが同時期に壊れていくのだろう。最近、人間関係も壊れることがあって、そういう時期というのは、またいろいろなものが新しくなっていくときでもあるので、納得がいかないものを抱えていたとしても、去るものは追わず、のスタンスでいたほうが良いようだ。うーん、自分が壊れて去るものは追わず、というときには、自分がどこかへ行ってしまって、空っぽになるということなのだろうか。そして新しい自分が空っぽの中に入ってくるのだろうか。すると今これを書いている古い自分はそのころにはいないので、「なんか、これあたしが書いたブログらしいけど、おぼえとらん、知らんよ」とつぶやくのだろうか。