Do not be like children in your thinking, my brothers; be children so far as evil is concerned, but be grown up in your thinking. (1 Corinthians 14:20)
2025年9月20日(土)
車椅子を社会福祉協議会に返す日が近づいてきた。本来は3ヶ月が期限で、9月の最初に返すはずだったが、延長してもらって22日に返すことになった。返したら、その足でタクシー拾ってドンキに行って電動自転車を買い、買った自転車に乗って帰ってくることにした。電動自転車があれば、坂が上れるから行動範囲が広がる。行った先で歩かないですむところなら、どこでも行ける。
しかし、車椅子がなくなるとゴミ出しの問題がある。ゴミステーションが道路の向こうにあるのだが、横断歩道がなく、交通量が多いので、渡るときに杖だけでは歩みがのろすぎて轢かれそうになる。それで車椅子で膝の上にゴミ袋を載せてゴミ出しをしていたのだが、これからはどうしようか。自転車に乗って、自転車の前かごに乗るくらい少量ずつゴミを捨てればいいのか。
車椅子がなかったときには、うちに来てくれた人が帰るときに、ゴミをおみやげに持たせていた。「ごめん、ついでに道路の向こうのゴミステーションに捨ててね」。お客さんにゴミおしつけるなんて、でもしかたがない。
それに、そんなにいい具合にいつも人が来てくれるとも限らない。
何日か前、私が燃えるゴミの袋をいつものように階段から蹴り落とすと(片手に手すり、片手に杖を持っているのでゴミ袋が大きいと手に持てない)うまいぐあいにバサバサバサと踊り場まで転がっていった。すると下から声がした。
「もしかして、ゴミ捨てようとしてますか? 捨てに行ってあげますよ」
そして、階段をタタタと上がってきて、私が落としたゴミ袋をさっさと拾い上げて持っていった。時々夜中に外でタバコを吸っている1階の住人だ。私がびっくりしていると、「捨ててきましたよー」と階段の下から声がした。「ありがとうございましたー」。私も声だけで返事した。ちゃんと下に降りてお礼をいうべきなのだろうけど、降りるのも時間がかかるので、これでいいかな。
そうか、同じ建物の人や、近所の人、何人かに負担にならない程度にちょっとずつお願いするというのも手だ。
いちばんいいのはスタスタ足で道を渡ってゴミを捨てにいけるようになることだが。
車椅子があるうちにやっておきたいことがあった。電車で金沢文庫に行って、特養に入っている父を訪ねることだ。今年はまだ一度も両親に会っていない。これから仕事がひどく忙しくなって、その後引っ越ししたら、もう今年中に会えないかもしれない。ひとつ仕事の区切りがついて、次の締め切りが迫っていないうちに行ってみようと思った。息子と金沢文庫で待ち合わせしてタクシーで行こうと思ったが、亡くなった弟の妻トモミさんが迎えに来てくれた。トモミさんに車椅子のことを訊かれたので、社会福祉協議会で借りたのだ、と言うと、トモミさんは最近、社会福祉協議会に500円を寄付するように言われて、社会福祉協議会とはいったい何をしているところなのか疑問に思ったけど、寄付した500円が有効に使われていることがわかってよかった、と言った。特養に着くと、定期的に見舞いに来ている母もすでに父の部屋にいて、みんなに会うことができた。
この特養は3年前にできたばかりということで、建物も内装もきれいだった。特養は入りにくいと聞いていたけど、いまは順番待ちというより、要介護度が高くなると優先的に入れるらしい。そして退所することはなく、死ぬまでそこで過ごすということになるのだという。逆に、なんらかの理由で特養を出るようなことがあれば、もう1回入ることはできないそうだ。
入居者はフロアから一人で出てはいけない。勝手にエレベーターを降りるのもだめだと聞いてびっくりした。敷地内でも出入り自由ではないんだ。病院で、外に出られなかったことを思い出した。病院も特養も、中にいる患者や入居者はもう自由ではなく、保護管理される対象になるのだ。父は最初のうち「ここはぼくのいるところではない」と母に言っていたそうだが、だんだんあきらめて言わなくなった。
私が30年くらい前に見た特養の入居者はもっと自由で(放置され?)、広い敷地の庭を一人で徘徊していた認知症の老人に話しかけられた記憶がある。また、病院に入院していた友達が、許可をもらって一緒に外に出て近くの公園まで散歩したことがあった。そういうことがふつうだと思っていたが、自分が入院して違うんだと知った。
家族にとっては安心だろう。病院や施設の中でちゃんと守ってもらえると思って。
でも私はいやだな。建物の中に閉じ込められて、自由に外に出られないなんて。
父はそれでも、そういう環境に慣れたみたいで元気にしていたけど、考えさせられてしまった。
電車の中で仕事をしようと思ってゲラをリュックに入れていった。でもちっともできなかった。東松山で乗るときに、車椅子スペースのある車両を希望したのだが、東武線の場合は線が入り組んでいるので、車椅子スペースのある車両がどこなのか、決まっていないようなのだ。前のときは、元夫が前もって駅員さんに訊いて調べてくれたが、いきなり「車椅子スペース」と言っても困惑されてしまうのだとわかった。車椅子スペースのない車両に乗ると、どうなるかというと、左右どちらかの出口に車椅子が居るということになるが、東武線は左のドアが開いたり右のドアが開いたりするので、駅ごとにちゃんとアナウンスを聞いてホームのようすも見て、出入りする人の邪魔にならないように必要に応じて移動しなくてはならない。仕事どころではない。
偶然、ギターをかついだミネギシさんと同じ電車に乗り合わせた。ギター伴奏の仕事のオファーで都心に向かっていた。以前、ミネギシさんは校正の仕事を手伝ってくれていたことがある。仕事の合間にギターを少し弾いてくれたりして、楽しかった。いまは音楽の本職が忙しそうだ。ミネギシさんと話をしていたら、あっというまに時がすぎて、長い道のり退屈しないですんだ。
東横・みなとみらい線直通に乗ったので、横浜駅まで乗り換えなしで行けた。横浜駅の乗り換えは、ターミナル駅なのできっとたいへんだろうと身構えていたが、みなとみらい線の横浜駅のホームはゆったりしていて人にぶつかる心配もなく、構内を京浜急行線に向かっているときは、さすがに人込みの中ではあったが、土曜日の横浜って、人の歩くスピードがゆったりしているんだ、ということに気づいた。平日だったらそうでもないかもしれないが、ゆったりと動く人波のなかを車椅子でくぐっていくのは思ったほどたいへんなことではなかった。それに、駅の構内にはほかにも車椅子の人を何人も見かけた。横浜はバリアフリーが少し進んでいるのかもしれない。
京急線に乗るとき、私が何も言わないのに当然のように車椅子スペースのある車両に連れていってくれた。そして、帰るときも同じように案内してくれた。だから多少混んでいても安心していられた。
帰りに、みなとみらい線のホームに降りるエレベーターの場所がわからなくなって、そのへんの人に訊いたら、その人が「そこまで押しますよ」と言って、いきなり車椅子を押して走るようにその場所まで連れていってくれた。じつのところ、自走しているときに急に押されると、足が巻き込まれそうになってこわいのだが、押す人は親切で押してくれるので、「ちょっと足を足台に乗せるまで待ってください」といいづらい。
帰りにみなとみらい線に乗るときにも、京急線と同じくこちらからお願いしなくても車椅子スペースのある車両に連れていってくれた。渡し板には「ケアスロープ」と書いてあった。渡し板にはいろいろな呼び方がある。
帰りは和光市の乗り換えがあった。東武線に乗り換えるとき、駅員さんに「車椅子スペースのある車両」をお願いしたら、「車椅子スペースがないこともあります」と言っていたが、「それはスマホで調べられますか?」と訊いたら、「いえ、それはこっちのシステムじゃないとわかりません」と言って、あと15分あるから調べてきましょう、と姿を消した。戻ってくると、「こんど来る電車には車椅子スペースがあるようですが、そこまで移動できますか?」と訊かれたので「もちろんです」と駅員さんについていった。つまり金沢文庫からすべて車椅子スペースで落ち着いて帰ってこられた。しかし電車が揺れるのと、寒すぎるので結局仕事はできなかった。
帰りの東武線では隣の車両でバタっという音がして人が倒れた。目が悪いのでよく見えないが、周りの若い人たちが集まって助け起こそうとしていて、そのうちひとりがホームに電車が入るとすぐに車内の非常ベルを鳴らした。車内放送が入り、しばらくすると駅員さんが車椅子を持ってきて、乗客も手伝って倒れた人を車椅子に乗せていた。駅員さんは渡し板をつかわずに倒れた人が乗っている車椅子をうまく押して電車から出ていった。
行きも帰りも、いつも到着する駅で渡し板を持っている駅員さんの姿を見てほっとしていた。この連携プレイはとても信頼できる。しかし、途中で事故があったら降りる駅の駅員さんを待たせてしまうことになるし、もし気分が悪くなって途中下車しようと思ったらどうしたらいいだろう。それでも、無理だろうと思っていた遠いところに車椅子を使って行くことができ、両親に会えてよかった。
