いつまでも終わらない堂々巡りの夢ーーそれが人生かもしれない。いつこの夢は終わるんだろう。人生という一つの夢が終わったら、また別の夢が始まるのかしら。--そんな感じのする曲。歌詞の意味はぜんぜん違うが、この歌のメロディーは作曲家の夢の中で浮かんできたというから、あながち私の印象はまちがっていなかったと思う。
「私はときどき夢できいたメロディーを覚えています。目覚めて窓の下の通りを見下ろすと、誰もいないのに、まるでそこにストリートミュージシャンたちがいて演奏しているみたいにすべての楽器の音がはっきりと聴こえてくるんです。あるとき私は夢のメロディーに、子供のときに聞いた物語をのせて歌にしてみました。それがこの歌です」(Songfactsより)
 18年も前に亡くなったブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブの作曲家・歌手・ギタリストのコンパイ・セグンドの言葉だ。
 コンパイ・セグンドの本名はフランシスコ・レピラード。1940年代に友人と2人で「ロス・コンパドレス」というユニットを結成し、仲間(コンパイ)のうち低声(セグンド)を担当したことからコンパイ・セグンドと名乗るようになった。しかし、その後、表舞台に立つことはなくなり、葉巻職人として生計を立てていた。
『Chan chan』は1984年にコンパイ・セグンドの夢の中にメロディーが現れ(「作曲したのではない、聴いたのだ」とセグンドは言う)、1997年にライ・クーダーのプロデュースで制作されたアルバム『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』に収録された。アルバムはグラミー賞を受賞した。
 下に歌詞を写します。スペイン語で、キューバの海岸の名前が出てくる。砂浜でガールフレンドのからだに砂をかけて遊んでいるシーンのようだがあまりよくわからない。

Chan Chan
De Alto Cedro voy para Marcané, llego a Cueto voy para Mayarí
El cariño que te tengo yo no lo puedo negar
Se me sale la babita yo no lo puedo evitar
Cuando Juanita y Chan Chan en el mar cernían arena
Como sacudía el 'jibe' a Chan Chan le daba pena
Limpia el camino de paja que yo me quiero sentar
En aquel tronco que veo y así no puedo llegar
De Alto Cedro voy para Marcané, llego a Cueto voy para Mayarí
De Alto Cedro voy para Marcané, llego a Cueto voy para Mayarí