地球の反対側にある中央アメリカの国々について、私はほとんど何も知らなかった。メキシコの小さな隣国であるベリーズにいたっては、「ベリーズ? そんなブドウ(berry)みたいな名前の国、あったっけ」と思ったくらいである。スペルが違うって、Belizeだよ。もとは英領ホンデュラス。1973年にベリーズとして名乗りをあげ、1981年にイギリスから独立した。
 少し歴史をさらってみよう。この地からはマヤ文明最古の土器(紀元前1200年頃)が発見されている。マヤ文明はメキシコ南部・グァテマラ・ベリーズにまたがる地域で、独自の文化・技術が築き上げられ、200万人もの人々が暮らしていた。そのマヤ文明が滅亡したのは西暦909年頃。文明的な大都市は崩壊し、廃墟となり、人びとは原始的な暮しにもどっていった。
 なぜ、マヤ文明は滅亡したのか?その謎を解こうと、88もの仮説が立てられているが、結局のところ何が本当の原因か特定されていない。マヤ文明についての最後の記録が909年で、その後の記録がいっさい残されていない。しかし、都市遺跡から手足を切断されて虐殺された王族の遺体が2005年に発見されている。マヤ文明は都市同士の戦争や旱魃、疫病などが重なってゆるやかに衰退していったのだろうと想像される。
 そして16~17世紀にこの地はスペインの植民地となったグァテマラの管轄に組み入れられるが、密林地帯の彼方にある辺境の地だったため、グァテマラ総督府の施政は行き届かなかった。それで17世紀にイギリスがベリーズの島嶼部に勝手に入植をはじめ、定住の既成事実をつくってから、1784年以後、人口増大などの理由でベリーズ・シティに移転を開始した。そして1798年にはイギリスの入植者たちがスペイン軍を破ってこの地はイギリスの植民地ホンデュラスに組み込まれた。
 その後もスペイン領グァテマラとイギリスとの間でこの地の領有をめぐって争いや交渉が続いたが、1950年代に入ってからこの地の住民に独立の気運がたかまり、1957年の普通選挙によって自治権を獲得し、1963年には自治政府が認められたが、あくまでも自国領を主張するグァテマラとイギリスの間で独立についての交渉が決裂した。最終的には中米諸国でもっとも遅い1981年、イギリス連邦加盟国としてベリーズの独立が認められた。そういうわけで、現在もベリーズの国王はイギリス女王エリザベス2世になっている。
 ベリーズの音楽をネットで検索すると、ガリフナ音楽の映像がたくさん出てきた。ベリーズの人口の約6.6パーセントをしめるガリフナ民族は、1802年11月19日にベリーズに入植した。そのため、毎年この日にはガリフナの最初の到着を記念して、翌日の夜明けまで太鼓や歌でお祝いしている。この映像はホプキンスというガリフナの人びとの住む村での記念日のお祝いのようすであろうと思われる。
 ガリフナ音楽は、ガリフナ民族ばかりでなく、ベリーズのメスティーゾ(ベリーズの48パーセントの人口をしめる。マヤ文明の先住民とスペイン人とのミックス)、クレオール(ベリーズの人口の30パーセントをしめる。イギリス人入植者とその人たちが連れてきたアフリカ奴隷のミックス)など、他の民族にも愛されているようだ。
 西アフリカの黒人と、カリブの先住民の血をひくガリフナ民族とその文化はどのようにして形成され、どのような経緯でベリーズにたどりついたのか。それについては興味深い歴史があるのだが、少し長くなってしまったので続きはまた明日。