もうずっとパリにいてもいいや、と思いながらワインの小瓶を片手に薄暗い夜道をふらふら歩いていたら、急に後ろから肩をつかまれた。
「誰!?」
 振り返ってみると、さっきルーブル美術館の屋根にうずくまっていたルシファー(堕天使)が羽根をばたばたさせながら、にやりと笑った。
「世界が泥沼になっているのに、きれいなものばかり見たがっていても、そうは問屋がおろさねえ」
 身体が浮き上がって、あっという間に雲を突き抜け、パリは足元遥か遠く、そして身体は西へ西へと猛スピードで運ばれていく。大西洋をつっきり、アメリカ大陸も横切ってカリフォルニア半島の付け根あたりで突然落下を始めた。ルシファーの気の狂ったような笑い声を聞きながら、私はタールみたいに真っ黒な沼に落ちていった。
 見上げると、ルシファーの姿はもう見えなかった。どんよりした灰色の雲が空を覆っていたが、突然雲の切れ間から閃光が射したかと思うと、背中に羽根のはえた人間が落下して、私の脇に落ちた。私を連れてきたルシファーが落ちてきたのかと思ったが、そうではなく、若い女性のルシファーだった。
 ルシファーは名前をビリー・アイリッシュとなのった。そして、「人間は愚かにも自分に毒を盛りながら、神さまに助けを求めてる。あたしはちゃんと警告したのにちっとも聞こうとしないからいけないのよ。いまでは神様も悪魔とお友達になりたがっているわ」などとぶつぶつ小さな声でつぶやきながら、水を含んで重たそうな長い羽根を引きずって、よろよろと火が燃えさかっているカリフォルニアの森の中へ入っていった。