パリで出会ったニーナ・シモンを追いかけて1969年のニューヨークにたどりついた。
 それから50年以上がたっている。しかし、アメリカ人はニーナ・シモンを忘れていない。つい最近記録映画が作られたくらいだ。
 私はアメリカに行ったことはない。人種差別があって拝金主義の国はキライ、とずっと言っていた。アフリカ人をつかまえて奴隷にしたり、先住民を迫害したりしたやつらがのさばっている国だと。
 音楽は別で、アメリカのジャズもポップミュージックも好きだ。でもヒップホップはほとんど知らない。友達がクラブに出演すれば聴きにいって楽しく踊ったりもしたけれど、「これ誰の曲? アルバムに入ってるの?」なんて訊ねようとしたり、もっと知ろうとしたりすることはなかった。
 20年くらい前の本に「アメリカの若者はヒップホップ以外聴かない」と書いてあった。20年たってその頃の若者は中年になったはずだから、アメリカ人でヒップホップ以外の音楽を聴くのは老人だけだ、ということになる。
 その本にJay-Zというラッパーのことが書いてあった。どんなことが書いてあったかは忘れてしまったが、名前だけは記憶に残っていた。20年前に注目されていたら、いまは大御所だろうな、と思いながら、「Jay-Z」をYouTubeで検索したら、「Story of O.J.」というアニメーション動画が出てきて、なんといきなり戯画化されたニーナ・シモンがピアノを弾きながら「Four Women」を歌っていた。
 まったく偶然のことだが、新しいものは古いのだ。古いものは新しいのだ、と思った。
 O.J.というのは、私はスポーツオンチなので全然知らなかったが、O.J.シンプソンという元フットボール選手で、1985年にはハイズマン賞(その年最も活躍した選手に与えられる←こんなことも知らなかった私)を受賞してプロフットボール殿堂入りし、引退後も俳優やコメンテーターとして人気があったが、1994年に発生した元妻の殺害事件で裁判にかけられる。さらに2007年に売られた自分のトロフィーを取り戻そうとして強盗事件を起こした、という人物だ。
 O.J.はアフリカ系アメリカ人で、家庭は貧しく、子供の頃に栄養失調でくる病になったがギブスを買うお金もなかったという。
 歌詞の中に「I am not black... I am OJ」という台詞が出てくるが、それに対して歌全体が、「俺たちはブラックだ。それを否定しちゃだめだぜ。奴隷だったり迫害されたり差別されたりしてきたが、そういう歴史を背負ったブラックのまま、なんとか賢く生きて成功するんだ」と言っているように思われる。
 ちなみに「I am not black... I am OJ」というのは、「アメリカン・クライム・ストーリー/O・J・シンプソン事件」という2016年の法廷ドラマに出てくる台詞で、本当のO.J.が言ったかどうかは明らかではないらしい。ただ、白人とつきあうのを好んでいて、奥さんも白人だったO.J.が言いそうな台詞ではある。
 Jay-Zについても有名なラッパーということ以上に何もしらなかったので検索してみたが、21個のグラミー賞を受賞したヒップホップ界のレジェンド。しかし子供時代はブルックリンの団地で生活保護を受けていた。いまはプロデューサー、実業家でもあり、資産はおよそ1000億円。ビヨンセと結婚。
「Story of O.J.」の中で、「I like that second one」と言っているのは、奥さんのビヨンセのことではないかと言われている。second oneとはニーナ・シモンの「Four women」に出てくる2番目の女性で、黒人と白人のあいだに生まれ、2つの文化の間を行き来する、黄色い肌を持つ「サフローニャ」と呼ばれる女性のことをさしている。ビヨンセはアフロアメリカンの父と、アメリカインディアン、フランス人の血を引く母のあいだに生まれた。実は私はJay-Zがビヨンセと結婚していたことも知らなかった。
 Jay-Zは社会貢献に熱心で、プロジェクトの売り上げの25パーセントを経済的に恵まれない子供たちのためのショーン・カーター奨学基金(Jay-Zの本名はショーン・カーター。それも知らなかった)に寄付したりしているが、今回の新型コロナウイルスの緊急対応支援のためにも、すでにニューヨーク市のために2億円、さらに貧困層救済のために追加の助成金6億円を寄付しているということだ。