ようやくポーランドの国境を越えることができた。ここはどこかというと……スロバキアである! ヨーロッパでたぶん唯一、新型コロナウイルスの死者がまだ出ていない国。規制もほかの国にくらべてゆるい。
 昨日、地図をひろげて考えていた。できれば、なんの先入観も持っていない国に行ってみたい。ポーランドの隣でも、ドイツならバッハやベートーベン、チェコならスメタナとドヴォルザーク、ウクライナならプロコフィエフやスクリャービン、キエフ・バレエ、日本に来日したナターシャ・グジー、そんな有名どころが思い浮かぶ。でも、リトアニア、ベラルーシ、スロバキアに関しては、なにがあるのかさっぱりわからない。スロバキアは昔学校の社会科で習ったときにはチェコスロバキアで、チェコと一緒だったけど、いつのまにかわかれていた。いつわかれたのかな。
 えっと……、調べてみた。かんたんに言えば、1993年の「ビロード離婚」により、チェコとスロバキアは平和的に分離したということだ。けれど、その前から、スロバキアはチェコスロバキアという連邦国家の中に「スロバキア共和国」というもう一つの国として存在していた。それはソ連の統治時代には「スロバキア社会主義共和国」だったが、1989年の「ビロード革命」によりチェコスロバキアに民主化が起こって、全体主義体制が崩壊したために、チェコとスロバキアの権限をめぐる意見の対立が起こり、話し合った結果、連邦をやめて別々の国家にすることにしたのだった。
 スロバキアに行ってみよう! でも、ポーランドとスロバキアのあいだの国境は山岳地帯で、険しい山々がある。タトラ山脈というのだ。ポーランドから行くなら、電車でチェコに出てから、スロバキアに入るというのが通常のルートらしい。しかし、私はチェコを通ったら、きっとプラハの街が好きになって、そこに居ついて動かなくなってしまうにちがいない。予測のできてしまうことは避けたい。どうしても、山を越えて直接スロバキアへ行くことにしよう。
 私はタトラ山地に住むイヌワシのドライバーに電話をかけて頼んでみた。「スロバキアまで乗せてってくれませんか」。イヌワシは「オッケーだよ」と言ってくれた。「お礼はどうしたらいいですか?」ときいたら、「報酬は月給制でね、お礼はとらないよ。神様にお礼を言ってくれ」という返事だった。
「おとたび」のたましひはイヌワシの背中に乗って国境=タトラ山脈を越えた。切り立った崖やすいこまれそうに青い氷河湖や、雲海に突き出る木の梢を見下ろしながら。スロバキアに入ると、どこからか口琴とホーミーの合奏がきこえてきた。「スロバキアにも口琴やホーミーがあったのか」と思っていると、叫ぶように歌っている少女の姿が。「あの子についていったらいいぞ。集落はもう近い。おっ! あそこに俺の『晩飯』がいる、さらばじゃ」と言って、イヌワシは私を急いで川のほとりに下ろすと、走っているノウサギをさっとつかんで飛んでいってしまった。
 そして、私は風の運ぶ口琴の音と地の底からうなるようなホーミーと、スロバキアの少女のうたう言葉のわからない土地のフォークソングを岩の陰に潜んで聴いていた。

(歌っている少女はAnna Hulejová(Hanka Hulejová)という1939年生まれの民謡歌手。この映像がいつ撮られたのかは不明だが、かなり古いものであることはまちがいない)