午前9時前に最寄駅に着いたら、駅前の薬局の前に長い行列ができていた。「なんでこんなに並んでいるんですか?」と列のいちばんうしろの人に訊いたら、「マスクを買うんです」と言っていた。
 出張校正ではお昼はとなりのコンビニで買ってきて食べることが多いけれど、今日はKさんが「ごはん食べにいくわ」と言ったときに「私もいきます」と言って階下のレストラン「ふみくら」についていった。鶏のからあげ定食を頼んだら、口に入りきらないような大きなからあげが4つも皿に載っていて、上に大根おろしがどっさりかかっていた。おいしかったので、ぺろっとたいらげてしまった。サイフォンで淹れたコーヒーもデザートもおいしかった。Kさんは常連でレストランの人に顔をおぼえられているので、何も言わなくても会計はなしで済んだ。私はほとんど行かないので、一人だと「編集部のつけにしてください」とか言いにくい。
「早く始めて早く終わらせる」という現体制の方針で、夜の7時には会社を出される。持ち帰りの仕事のおみやげつきで。「ワークコート松涛」の無料体験チケットが今日までだったことを思い出す。仕事があるので、せっかくだから使ってみよう、と思い、渋谷に出る。角の立ち食い蕎麦屋でもりそばと鯵めし(鯵の干物をほぐしてご飯に混ぜたもの)を食べて、ワークコートに向かう。無料体験チケットと身分証を提示すると、どこの部屋でもタッチするだけで鍵をあけることのできるカードを渡してくれる。せっかくなので、机に仕切りのある部屋やない部屋、階段の上にあって下を見下ろせる机、音楽が流れている部屋、無音の部屋など、いろいろためしてみたが、良いと思ったのは、どの机で作業をしても、眩しいくらい皓々とした白熱灯の光がまっすぐに紙の上に落ちて、ゲラの文字がはっきり見えることだ。それで気がついた。いつも、家で作業するときも、会社の会議室でも、光量が足りない。だから、いつも目がかすんだような感じで、細かい字はルーペのお世話にならなくてはいけなくなるんだ。紙を真上からしっかり照らす光、これが必要だ。そのことに気がついただけでも、体験してよかった。もう来ることはないにしても。その上、仕事はかなり進んだ。全部やってしまおうと思ったが、夜の10時に追い出された。
 ワークコートを出ると、雨が降っていた。傘を買い、コムズの練習をどこか戸外でするのはあきらめて、神泉から下北沢に出て、下北沢の駅前にあるカラオケで練習をした。今日は休前日だからだろう、思ったよりも室料が高くて悲しかった。道玄坂の歌広場で練習すればよかった。
 昨日と同じように、小田急線の特急で立ったまま眠りながら家に帰った。
 家に帰りつくと、もう日付が変わっていた。ネットを立ち上げると、25年前の地下鉄サリン事件で低酸素脳症にかかって寝たきりだった女性が今日亡くなった、というニュースが出ていた。事件当時は31歳の会社員で仕事に向かっていた。東京メトロが営団地下鉄だったころの事件だ。犯人は死刑になった。サリンの翌年の1月に阪神淡路大震災があった。息子はまだ赤ちゃんだった。いま私たちがみんなばらばらになって、このようにして生きていることを、そのころ誰が予測できただろう。もちろんサリン事件の日に会議に出ようとしていた女性も自分が次の日から寝たきりになるなんて思いもしなかっただろう。新コロコロの騒ぎだって誰も去年は思いつきもしなかった。明日なにが起こるのかなんて、誰もわからない。占い師も教祖さまも超能力者もいろいろ言うけどほんとのことはわかっちゃいない。今日、無事に生きていて、おいしいものを食べられて、自分の足で動けることは、それだけですでにラッキーなのかもしれない。悲しいとか、さびしいとか、思うようにならないもどかしさとか、さまざまな感情を抱いて生きているのはつらいことでもあるようだけど、明日は何も感じない物体になって地の底で横たわっているかもしれないことを思えば、悲しみさえもどこか愛おしくなる。