小説トリッパー出張校正最終日。早起きして、木曜日が締め切りの仕事を少し進めてから行こうと思って6時に目覚ましをかけたが、全然無理で、一度起きたけど寝てしまった。でも会社には間に合った。緑色ではなく、黒い帽子をかぶっていったら、受付のおねえさんは素直にとりついでくれた。今日は疑い深く「校正とおっしゃって」とは言わなかった。やはり、しがないフリーの渡世人が大会社に乗り込むときは、ウグイスやメジロではなく、黒いカラスになっていくのがよかろう。
 今日の校正はミヤさまと一緒だった。ミヤさまの旦那さまは池袋で老舗のジャズ喫茶を経営していて、たまに私もミヤさまに誘われて、ライブを聴きにいったり、飲みにいったこともある。古いレコードを良い音響で聴かせてくれる。ふらっといけるような近所だったら、せっせと通ってしまうかもしれない。「でも、いまプレーヤーの調子がわるいのよ」とミヤさまが言った。買い換えるのに15万円かかるそうだ。
 今回の出張校正期間中、いつもなにかが足りないような気持ちで帰っていたわけがわかった。校正者の担当のマキノさんがずっとお休みだったからだ。会社もやっぱり人だなあ、と思う。その人がいないから仕事が滞るということはなくても、なにかが違う。なにかは人が醸し出しているムードみたいなもので、とてもたいせつなものだ、と感じている。
 帰りに混んだ電車の中で立ったまま缶ビールを飲んでいたら、足がつった。つった足をこっそり靴から抜いて、曲げたり伸ばしたり振ったりしたが、缶ビールを手に持っているので、さすったり揉んだりすることはできず、フラミンゴのように片足立ちになってひそかに悶絶していた。たぶん血行がヘンになったのだろう。心臓がどきどきして冷や汗が出た。倒れたらビールがこぼれるので必死に耐えた。最寄り駅について歩きだしたら治った。