運転はしない
〝自由でいたい〟という目的はしばしば特定の手段と結びつけられる。例えば、移動の自由は、自分で運転できることだと考えられハンドルを握ることだと理解される。私もかつて、自由に移動するためには自分で運転できた方がいいに決まっていると考えていた。免許を取ったが、さまざまな理由から運転をやめる判断に至ったのだが。その時点では、陸を移動するにはタクシーかバスしかないと思っていた。しかし、それも同じ固定だった。目的と手段が一対一で結びついた瞬間、人は自由を選んだつもりで、選択肢を減らす。手段は本来、複数ある。だが「正しそうな形」が定まると、それ以外は見えなくなる。..,現在、私は世界のさまざまな場所を移動している。相変わらず、自分では運転しない。その代わり、その土地で出会った人の車に乗り、都市を越え、国を越えている。知らない道を辿りながら、寄り道をする。結果として、移動の自由度は柔らかく増えている。ここで起きているのは、新しい方法の発見ではない。目的と手段の結びつきを、一度ほどいただけだ。手段を一つに固定すること、特に「自分で」という条件を加えると選択肢は狭くなる。これは移動に限らない。関係も同じだ。名前形式役割それらが固定から解放された時出会い直す余地が無数に生まれる。配置を変えると問題は問題でなくなることがある。そして、自分というものから離れると世界は面白いように広がる。サロンのご案内◆ホームページはこちら → ◆サロンメニューはこちら →メニュー・料金◆診断のご予約はこちら →ご予約京都・大阪・滋賀・和歌山・奈良・兵庫・三重・鳥取・岡山・愛知・東京・埼玉・徳島・島根・高知・佐賀・宮崎・北海道全国各地20代〜60代と幅広くお越しいただいています。◆サロンの場所→ JR桂川駅 徒歩すぐ◆ お問合せはこちら →お問い合わせフォームインスタグラム