初めまして。
今日、2016年5月25日は娘が元気に産まれるはずだった日です。
娘の名前も決めていました。
娘が元気に生まれてくることを疑っていませんでした。
いま、私のお腹の中に娘がいない事が未だに信じられません。
私は娘を5ヶ月も早く外の世界に出してしまいました。
2016年に入ってすぐの1月2日。
2016年は新しい家族も増え、楽しい1年になるのだと、安産のお守りも買い、安産祈願をしに行ったその日です。
夕方突然の破水。少量の水が流れてきました。すぐに病院へ電話しました。
「大丈夫だと思いますが、しばらく様子を見て、まだ流れてくるようなら病院に来てください。」
それから数時間経っても流れてくるので病院へ行きました。夜10時頃です。
すぐ超音波検査をしたのですが、カーテン越しに先生の声が聞こえます。
「破水してるねぇ、、、、」
看護師が赤ちゃんの心音を聞かせてくれました。
私はまだそのとき、赤ちゃんは生きているんだ、あぁ、良かった。と楽観視していました。
そのあと夫婦で呼び出されて突きつけられた現実。
「破水していて羊水が流れだしている。赤ちゃんはまだ生きているが、いつ感染症を起こしてもおかしくない。破水しているからいつ陣痛が起きてもおかしくない。張り止めと感染を予防する薬を出す事はできるが、陣痛が起きてしまえばどうすることもできない。」
何を言っているのか分かりませんでした。
お腹の赤ちゃんは生きている。なのにどうしてこんなに暗い口調で話されるんだろう?
「赤ちゃんは生きているんですよね?」
「生きています」
じゃあ大丈夫じゃないの。なにを心配する事があるんだ。安静にしていればいいんじゃないか。
このような言葉をずっと言っていました。
泣くことしかできませんでした。
夫と看護師が隣でずっと付き添ってくれていましたが、どうすればいいのか全く分からず、ただただ泣きじゃくることしかできませんでした。
病院の帰りにそのまま私の実家へ帰り、両親に夫が話しました。
母が次の日、先生の元へ行き、書類をもらって来ました。
手術の同意書です。
私たち夫婦はまだ21歳です。母が言いたい事はわかりました。
赤ちゃんがもし生まれてきたとしても、健康ではないかもしれない。何らかの障害のある子が生まれてくるかもしれない。それであなた達は幸せになれるのか。あなた達はまだ若い、きっとまた赤ちゃんはきてくれる。今回は諦めなさい。
頭では理解していました。理解していましたが、私たちを選んでくれた我が子を、まだお腹の中で生きようとしている我が子を殺すことなんて考えられませんでした。
だって、今もまだお腹で動いているんです。お腹をポコポコ蹴ってくれていました。この子は一生懸命生きようとしているのに、どうして無理矢理外に出さなくちゃいけないのでしょうか。
その日の夜、夫は自分の実家に帰り、義母に全て伝えてきました。義母も実母と同じ考えだったそうで、赤ちゃんは諦めなさいと。
次の日書類を書いたのですが、記憶にありません。ただ、言われるがままに名前を書いたことだけ覚えています。
無責任ですが、本当に、言われるがままに呆然と名前を書いていました。
(障害がある子を育てることが不幸せな事だとは私も母も義母も思いません。年齢や金銭面など現実を考えた上での判断です。気分が悪くなられた方、申し訳ありません。)
そして次の日すぐ、入院になりました。
触診をし、陣痛促進剤を入れられました。
3時間置きに入れられます。地獄のようでした。現在進行形で赤ちゃんを苦しめているのです。赤ちゃんはまだ出たくないのに、私たちが赤ちゃんを苦しめているのです。ただ痛みに耐えることしかできませんでした。
6時間後、分娩室に移動し、普通のお産と同じような形で我が子は生まれました。生まれてきた我が子は産声もあげることもせず、静まり返った室内で私はただ呆然と、助産師の言われるがままに動いていました。
1月4日、18時46分
272グラムの小さな小さな女の子でした。
一度部屋に戻され、数十分後、看護師に呼ばれました。
そこには白いお洋服を着て、檜の箱に入った小さな可愛い可愛い娘がいました。私と夫に似た、本当に可愛い赤ちゃんでした。
ごめんね、元気に産んであげられなくてごめんね。元気なあなたに会いたかった。涙が止まりませんでした。
たった数十分しか会う事ができず、私は部屋に戻されました。しばらくして火葬場の方がみえ、母と義母は火葬の日程について話していました。
次の日の昼、赤ちゃんはいなくなりました。小さな骨が残るんです。ああ、娘はしっかり成長していたんだなぁと涙が溢れました。
きっともう人生でここまで涙を流す事はないんじゃないかと思うくらい泣きました。泣いても泣いても涙がでました。
それから数週間、食事は喉を通らず、何を見ても何をしても、娘と見たかったなぁ、娘と食べたかったなぁ、娘と買い物に行きたかったなぁ。このようなことばかり言っていました。
夫もずっと寄り添ってくれて、きっと夫がいなければ私は立ち直れなかったでしょう。
娘が生まれてから5ヶ月近く経ちますが、娘の事を考えなかった日はありません。友達の妊娠報告、外で赤ちゃんを見ると、どうして私だけ、なんで私だったのか、そんな考えが今でも頭に浮かびます。
全員私と同じような経験をすればいいとまで考えてしまいます。
死産をしてからホルモンバランスが崩れ、今も生理周期がバラバラです。それでもまた赤ちゃんを授かれるよう、努力しましたが、昨日生理がきました。
娘の予定日に生理痛で寝込みながらこれを書いています。娘が私を忘れないようにお腹を痛くしているのかなぁなんて、都合のいいように考えながら横になっています。
これから先、もしまた赤ちゃんを授かることができたら、娘にしてあげられなかった分、大事にしていきます。
きっと、私と同じような経験、それ以上につらい経験された方もいると思います。その方たち全員にまた赤ちゃんが帰ってきてくれることを願っています。
リノ、私をママにしてくれてありがとう。
今日、2016年5月25日は娘が元気に産まれるはずだった日です。
娘の名前も決めていました。
娘が元気に生まれてくることを疑っていませんでした。
いま、私のお腹の中に娘がいない事が未だに信じられません。
私は娘を5ヶ月も早く外の世界に出してしまいました。
2016年に入ってすぐの1月2日。
2016年は新しい家族も増え、楽しい1年になるのだと、安産のお守りも買い、安産祈願をしに行ったその日です。
夕方突然の破水。少量の水が流れてきました。すぐに病院へ電話しました。
「大丈夫だと思いますが、しばらく様子を見て、まだ流れてくるようなら病院に来てください。」
それから数時間経っても流れてくるので病院へ行きました。夜10時頃です。
すぐ超音波検査をしたのですが、カーテン越しに先生の声が聞こえます。
「破水してるねぇ、、、、」
看護師が赤ちゃんの心音を聞かせてくれました。
私はまだそのとき、赤ちゃんは生きているんだ、あぁ、良かった。と楽観視していました。
そのあと夫婦で呼び出されて突きつけられた現実。
「破水していて羊水が流れだしている。赤ちゃんはまだ生きているが、いつ感染症を起こしてもおかしくない。破水しているからいつ陣痛が起きてもおかしくない。張り止めと感染を予防する薬を出す事はできるが、陣痛が起きてしまえばどうすることもできない。」
何を言っているのか分かりませんでした。
お腹の赤ちゃんは生きている。なのにどうしてこんなに暗い口調で話されるんだろう?
「赤ちゃんは生きているんですよね?」
「生きています」
じゃあ大丈夫じゃないの。なにを心配する事があるんだ。安静にしていればいいんじゃないか。
このような言葉をずっと言っていました。
泣くことしかできませんでした。
夫と看護師が隣でずっと付き添ってくれていましたが、どうすればいいのか全く分からず、ただただ泣きじゃくることしかできませんでした。
病院の帰りにそのまま私の実家へ帰り、両親に夫が話しました。
母が次の日、先生の元へ行き、書類をもらって来ました。
手術の同意書です。
私たち夫婦はまだ21歳です。母が言いたい事はわかりました。
赤ちゃんがもし生まれてきたとしても、健康ではないかもしれない。何らかの障害のある子が生まれてくるかもしれない。それであなた達は幸せになれるのか。あなた達はまだ若い、きっとまた赤ちゃんはきてくれる。今回は諦めなさい。
頭では理解していました。理解していましたが、私たちを選んでくれた我が子を、まだお腹の中で生きようとしている我が子を殺すことなんて考えられませんでした。
だって、今もまだお腹で動いているんです。お腹をポコポコ蹴ってくれていました。この子は一生懸命生きようとしているのに、どうして無理矢理外に出さなくちゃいけないのでしょうか。
その日の夜、夫は自分の実家に帰り、義母に全て伝えてきました。義母も実母と同じ考えだったそうで、赤ちゃんは諦めなさいと。
次の日書類を書いたのですが、記憶にありません。ただ、言われるがままに名前を書いたことだけ覚えています。
無責任ですが、本当に、言われるがままに呆然と名前を書いていました。
(障害がある子を育てることが不幸せな事だとは私も母も義母も思いません。年齢や金銭面など現実を考えた上での判断です。気分が悪くなられた方、申し訳ありません。)
そして次の日すぐ、入院になりました。
触診をし、陣痛促進剤を入れられました。
3時間置きに入れられます。地獄のようでした。現在進行形で赤ちゃんを苦しめているのです。赤ちゃんはまだ出たくないのに、私たちが赤ちゃんを苦しめているのです。ただ痛みに耐えることしかできませんでした。
6時間後、分娩室に移動し、普通のお産と同じような形で我が子は生まれました。生まれてきた我が子は産声もあげることもせず、静まり返った室内で私はただ呆然と、助産師の言われるがままに動いていました。
1月4日、18時46分
272グラムの小さな小さな女の子でした。
一度部屋に戻され、数十分後、看護師に呼ばれました。
そこには白いお洋服を着て、檜の箱に入った小さな可愛い可愛い娘がいました。私と夫に似た、本当に可愛い赤ちゃんでした。
ごめんね、元気に産んであげられなくてごめんね。元気なあなたに会いたかった。涙が止まりませんでした。
たった数十分しか会う事ができず、私は部屋に戻されました。しばらくして火葬場の方がみえ、母と義母は火葬の日程について話していました。
次の日の昼、赤ちゃんはいなくなりました。小さな骨が残るんです。ああ、娘はしっかり成長していたんだなぁと涙が溢れました。
きっともう人生でここまで涙を流す事はないんじゃないかと思うくらい泣きました。泣いても泣いても涙がでました。
それから数週間、食事は喉を通らず、何を見ても何をしても、娘と見たかったなぁ、娘と食べたかったなぁ、娘と買い物に行きたかったなぁ。このようなことばかり言っていました。
夫もずっと寄り添ってくれて、きっと夫がいなければ私は立ち直れなかったでしょう。
娘が生まれてから5ヶ月近く経ちますが、娘の事を考えなかった日はありません。友達の妊娠報告、外で赤ちゃんを見ると、どうして私だけ、なんで私だったのか、そんな考えが今でも頭に浮かびます。
全員私と同じような経験をすればいいとまで考えてしまいます。
死産をしてからホルモンバランスが崩れ、今も生理周期がバラバラです。それでもまた赤ちゃんを授かれるよう、努力しましたが、昨日生理がきました。
娘の予定日に生理痛で寝込みながらこれを書いています。娘が私を忘れないようにお腹を痛くしているのかなぁなんて、都合のいいように考えながら横になっています。
これから先、もしまた赤ちゃんを授かることができたら、娘にしてあげられなかった分、大事にしていきます。
きっと、私と同じような経験、それ以上につらい経験された方もいると思います。その方たち全員にまた赤ちゃんが帰ってきてくれることを願っています。
リノ、私をママにしてくれてありがとう。