私の通っていた小学校では、毎年学年の初めに、調査票のような物を記入する習慣がありました。

その項目の中に、長所と短所というのがあって、母がいつも書いていた私の短所は「融通が利かない」でした。

低学年の頃は、その意味がよくわからなかったのですが、だんだんわかるようになってくると、私ってそうなんだと、自覚があるようなないような気持ちになりました。

 

そんなある日、私が何かをした時に、「昔はすごく気が利いたんだけどな。」と父に言われました。

どうやら、まだ幼稚園にも行っていない小さい頃、父が帰って来ると、父が着替える部屋着を引きずって玄関まで持って来たり、たばこを吸う時に、たばこだけでなく、灰皿も持って来たりしていたそうなのです。

 

それを聞いたとき、自分のことだとは信じられなかったです。

小さい頃に一生分の気を遣ってしまったのかと、本気で思いました。

 

融通が利くのと気が利くのは同じではないと思うのですが、それ以降、私の中では私の短所という箱の中で、同じ物として認識されています。

私は融通が利かないんだな。おまけに気も利かないと。

 

その後、自分の長所や短所を聞かれる度に、長所は毎回考えるのに、何も考えずに短所はいつも「融通が利かない」と書いてきました。

短所には向き合わずにきてしまったのだと思います。

 

でも、大学時代のちょっとしたできごとで、この短所の箱が壊されて、それからは長所と短所を聞かれる度に、どちらも考えて答えられるようになりました。

今なら、長所は状況をメタ認知できるところ、短所は腰が重いところと答えるかもしれません。