カンタローのブログ -162ページ目

希望の花

地震被災地の県の花を調べてみた!!
宮城県の花は、「ミヤギノハギ」花言葉は「想い」


福島県の花は、「ネモトシャクナゲ」花言葉は、「荘厳」とか「威厳」

そしてこんな注釈が・・・
ネモトシャクナゲの花言葉は「荘厳」とか「威厳」なのだそうです。このような花のイメージからなのでしょうか、いずれの言葉にも、「厳」の文字が含まれています。周囲がいかに自らにとって棘のごとき環境にあっても、芯を曲げずに存立して耐えながら、そういった苦労を微塵も感じさせないくらい、たおやかな容貌を見せて周囲を和ませる。人間としても、かくありたいな、そう思います。

茨城の花は、「バラ」花言葉は、愛、恋、美、幸福

そしてバラの葉には、こんな意味があるそうだ!!
バラ(薔薇)の葉には、「頑張れ」「希望がある」などという励ましの意味があります!!

昨日、石巻市で9日ぶりに救済された80歳のおばあちゃんと、16歳のお孫さん・・・これはまさに希望の光だ!!

「ミヤギノハギ」の想いは、地震被災地の皆さんが、一人でも、多く生きていらっしゃることを願う想い、1日でも早く復興し、元気な子供たちの笑顔に合えるようにと思う想い!!

「ネモトシャクナゲ」のように、地震被災地が、いかに自らにとって棘のごとき環境にあっても、芯を曲げずに存立して耐えながら、力強く!!被災地の皆さんのたくましさ!!

そして「バラ」のように、世界の人たちの大きな愛が、今まさに、希望の光として・・・
「頑張れ」「頑張れ」と、希望を持って・・・

私たちも、この悲劇を、しっかりと受けとけ、そして明日への希望を・・・もっともっと・・・・

イメージ:有限会社ショープランナー ゼロワン
岐阜県高山市の芸能プロダクション・イベント企画会社『有限会社ショープランナー・ゼロワン

知ってもらいたい悲劇!!

この地震の惨事には、まだまだ知らない悲しい事実がある!
僕の飛騨っブログ記事への、タニグチさんからの投稿です!!

昨日は愛知県大口町の地球のステージに行ってきました。

地球のステージの桑山さん。自分はは生き残りましたが、とても大切な仲間を失いました。
・・・・ここからは・・・桑山さんのブログです・・・
歩(あゆむ)さんは、空港の東側で「さくらい駐車場」を営み、農業もこなす多角経営マンです。でも一番すごいところは、この下増田地域において常に「顔」であること。
 まだ50歳も半ばなのに、誰もが一目置いていて、下増田の夏祭りだっていつも歩さんが実行委員長。そんなことやんなくっても誰も文句言わないのに、いつも歩さんがそこで音頭をとっています。
 この地に開業するにあたってみんなが言ってたのが
「歩さんに挨拶に行くといいよ。あの人は本当に子どもが好きでね、子どもたちと何かやりたいんだったら、いつも歩さんが中心なんだよ」
 だから開業前に挨拶に行きました。
「いや~よく来てくれたね~。“地球のステージ”がさ、ここへ来るって言うから嬉しくてね。うちの子どもたちも増田中学校でステージ見てるからね。期待してるよ。俺でできることだったら、何でもするからね!」
 昨年の夏祭りでも歩さんは走り回っていました。
「お~先生、来たかい!ゆっくりしてってね~」
 とは言われても、あまりの暑さにへばったものです。
「クリニックが軌道に乗って、地球のステージもこの地に慣れてきたら農業体験学習とかやろうな!」
 そう誘ってくれていたのも歩さんでした。


 地震が来て、歩さんは一旦仙台空港の方に逃げようと思いましたが、この地域にはお年寄りが多いことに気付いて消防団の2人とともに、お年寄りに「逃げろ!」と説得にまわりました。けれどおばあちゃんたちは、
「昔の宮城沖地震だって、結局津波はこんかった。この前の9日のおっきい地震でも津波はこんかったべ。だから歩、大丈夫だ~」
「いや、今回は違うみたいなんだ。10m近い津波が来るってみんな言ってんだ!」
「な~に大丈夫だ~」
「違うんだ!違うんだばあちゃん!!早く逃げてくれ!!」
 こうして幾人かのお年寄りの説得に時間がかかった時、津波が襲ってきました。
 
 2日後。「下増田分隊」の消防車の中で2人の消防団員と、歩さんの遺体が発見されました。手には拡声器のマイクが握られていました。



正義の人、歩さんは最後の最期まで「見て見ぬふりしない」人だったんです。


 今日は初めての心療内科のモバイル(移動診療)を行いました。
 市内で2番目に大きい避難所が舞台です。とにかくじっくりと話を聞きます。


 市内の大学に通う雅哉くんは、19歳です。被災して家を失いました。最近元気がないので今日はこの「心の巡回診療」を勧められました。
 彼は、ゆっくりとしゃべり出しました。
「僕が気になっているのは、実は犬のことなんです。ずっと飼ってた犬なんですが、津波が来ることがわかった時点で自分が逃げるのに精一杯でした。だから、犬を連れてこれなかったんです。なんで自分は、人間の命のことだけ考えて大切な犬の命が考えられなかっただろうって考えると、本当に申し訳なくて申し訳なくて。それが今は心の負担になっているんです」
 ここで号泣が始まりました。
「でも、おれ、泣けないんです。だっていっつも言われる。”おまえまだ19歳で若いんだから、あれもできるよな、これもできるよな”。
 でもおれただの19歳っすよ。偉くなんかもない、なんにもできない19歳。毎日毎日連れてこれなかった犬のこと考えてくよくよしているだけの人間なんです。でもみんな俺に勝手に期待するんです。俺だって泣きたいのに、俺だって叫びたいのに。
 携帯流されたから、ぜんぜん友達と連絡とれなくて。あの中にしか番号入ってないし。避難所にはぜんぜん同級生もいない。俺って、一人なんすよ。毎日毎日寂しくて寂しくて、つぶれそうなのに、おばちゃんたちから“笑顔がいいね~”って言われる。
 おれ笑いたくもないのに、結局笑っちゃうからあとでまた落ち込むんです。
 俺の居場所ってどこですか?俺はどこにいたら、心の底から安心できるんすか。もうどこにも行き場所無くてただただ落ち込んでると、なんにもわかんないじいちゃんたちが言うんだ。”何くらい顔してんだ”って。
 何でくらい顔していけないんすか。
 こんなに何もかも失って、あとどこで明るい顔なんてすればいいんすか。大人って勝手に俺に期待して、できないとわかると冷めてみるような気がする。だから俺どうしていいかわかんなくなるんす。」
 最後の方はもう言葉にならない叫びでした。


 震災から1週間。そろそろ人々の精神に変調をきたしやすくなる時期です。


  皆さんに会える喜びと、被災地を一時的にでも離れる苦しさと・・・。
 申し訳ないのですが、何も持って帰ることはできないのでご理解下さい。


桑山紀彦・・・

ここまでが地球ステージ桑山さんのブログです!!

歩さんの乗っていた消防車。
最後の最期まで声を限りに振り絞った歩さんの気持ちを復興のシンボルとして未来に残していきたいそうです。

大切なのは忘れないこと。綺麗な街があったこと、そこに住んでいた人がいたこと、地震があったこと、人と人が支えあって復興したこと。

私も、町に祭りを、笑い声を、取り戻せる日を・・心より願います。
Posted by タニグチ at 2011年03月20日 10:22

考えさせらる投稿でした。
まだまだ知らない悲劇が・・・・そして・・・改めて考えていかなければならないことが、たくさんあることを、この震災で学んでいかなければ・・・・ 
イメージ:有限会社ショープランナー ゼロワン
岐阜県高山市の芸能プロダクション・イベント企画会社『有限会社ショープランナー・ゼロワン

復興を願う!!

昨日の、僕のひだっちブログにこんなコメントがあった!!

この記事へのコメント
南三陸町出身です。
今回の災害で私の実家は跡形も無く流されましたが
両親や親戚、近しい友人達が無事だった事が救いです。

救援物資運んで頂いてありがとうございました。
被災地及び被災者はもの凄く励みになると思います。

先日無線電話で母から電話が来ました。
1分くらいしか話せませんでしたが、
『こちらは元気、大丈夫だから!』
と思いがけず元気な声が聞けて、
嘆き続けめそめそしてしてる自分が情けなくなりました。
みんな涙をこらえ頑張っています。
私も、いえ、私こそがしっかりしなくては、ですね。

東北の人は本当に粘り強くたくましい。
時間は掛かっても必ず復興してくれると信じています。
活気が戻って南三陸の海の幸が食べれる事を願っています。

南三陸町に目を向けて頂いて、思いを寄せて頂いて
足を運んで頂いて本当にありがとうございました。

感謝
Posted by Ri at 2011年03月19日 19:36

今まで、生きてきた中で、南三陸町という町さえ知らなかった!!
14日、救援物資をつんで運ぶ僕たちは、行き先さえ決めていなかった!!
道中のラジオ情報・・ツイッター情報を元にとにかく走った!!
ボランティアセンターが立ち上がったところは、ある程度大丈夫だろう・・・
そんな中、南三陸町が孤立して物資が届いてないとのラジオ情報!!
僕たちはSAに止まり、地図を広げ、行ったことと無い町を探し、「物資が届かないんだから、道もだめなんじゃないか」・・議論しながら、とにかく行けるところまで行こうと!!
途中友達から道の状態・・どの道が通れるのか?!
メールで教えてもらいながら、何とか現地に入れることが出来た!!
幸い自衛隊の瓦礫の撤去作業が済み、避難場所まで行けた!!!
町は、もう無い!!昨日まで普通に暮らしていた明るい町はそこには無い!!
しかし・・・このコメントをもらって、どんな町だったんだろうと、HPを開いてみた!!
そこには今まで知らなかった、今現実にある街とは程遠い元気な町がそこにはあった!!!
皆見てほしい!!
この町のHPを、
http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/
ここには、元気いっぱい過ごしている町の人たちの姿がある!!

見てほしい!!

今、まさに南三陸町だけではなく、多くの町がこのように壊滅的なダメージを受け、その中から、頑張って立ち上がろうとしてる!!
僕たちは帰りの道中、この町の人たちは、こんな恐ろしいことを体験して、またこの町に家をたてるだろうか??
そして住むだろうか???本当にそのことを思った!!
しかし、このコメントを読んで、我が故郷を愛し、この町で育った人たちは、きっとこの町を離れず、きっと今まで以上の町を築いてくれるだろうと強く信じる!!!
そして、家族で、美しく、活気あふれるこの南三陸町の町に、1日でも早くおとづれることが出来ることを願う!!!
災害にあった被災地のHPを見直してみてください!!
こんなにもすばらしい町だったんだよ!!

町に祭りを、笑い声を、取り戻せる日を・・心より願います!!
イメージ:有限会社ショープランナー ゼロワン
岐阜県高山市の芸能プロダクション・イベント企画会社『有限会社ショープランナー・ゼロワン