先日、映画『国宝』を観ました。

とても良い映画でした。主役の二人の人生、そして彼らに関わる人々の想いが丁寧に描かれていて、登場人物それぞれの気持ちに自然と寄り添いながら観ることができました。


でも、映画を観た周りの人たちが言っていたような「見終わったあと立てなかった」とか、「人生観が変わった」というほどの衝撃は、正直私にはありませんでした。


思い返すのは、過去に観た『レ・ミゼラブル』という映画のこと。

あのときの私は映画館で何度も泣いて、エンドロールが終わっても立ち上がることができませんでした。

心が揺さぶられ、生きること、人生とは何かを深く考え、観る前と観た後で、自分が少し変わったと感じるほどでした。


なぜ『国宝』では同じような衝撃を感じなかったのだろう。

その理由を、自分なりに考えてみました。


たぶんそれは、映画の内容そのものというより、「観ている私の心の状態」が大きいのではないかと思うのです。


『レ・ミゼラブル』を観たときの私は、人生に迷い、不安や不満を抱えていました。だからこそ、映画の中の登場人物の苦しみに強く共鳴し、感情が溢れたのだと思います。


でも今の私は、人生に満足していて、日々を穏やかに過ごしています。占星術を学んだこともあり、物事を少し俯瞰して見るクセもつきました。

感情に振り回されず、冷静に出来事を見つめられるようになった一方で、以前のように物語に深く入り込むことが少なくなった気もします。


自分の人生が落ち着いて、満たされているとき、ドラマチックな物語の中に「なりきる」必要はなくなるのかもしれません。

それは冷めたというより、ちゃんと自分の人生を歩けている証拠なのかも。


もちろん、感動できる心を忘れたわけじゃない。

ただ今は、自分の物語をしっかり生きているからこそ、誰かの物語に「自分を探す」必要がないのかもしれない。


人生を映画のように捉えることができると、生きるのが少し楽になります。

でもその分、臨場感や強い感情の波は、少し遠ざかるのかもしれません。

私も心が揺れるような物語に出会ったときには、主人公のように泣いて、笑って、心から感情を揺らしてみたい。

そんなふうに、自分の心の状態を感じながら映画を観るのも、ひとつの豊かな体験なのだと思います。


感動の感じ方は、そのときの「心の星模様」によっても変わるのかもしれません。

占星術を知ると、自分の心のリズムやタイミング、今の状況に気づけるようになります。