録画しておいた番組。
NHKのプロフェッショナル【米田肇】

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/284/1669554/index.html



洗濯物たたみながら見ようと思ったけどダメだった。

引き込まれて見入ってしまった。

やっぱりこの人普通じゃない。
すごい。

料理で地球を表現って…。
感性と想いを形にする力が芸術家。
でも計算され尽くした作業は科学者みたい。

  
インタビューのシーンで、
彼に〈吃音〉の過去があると知って、
さらにのめり込んで見た。


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私はこの〈吃音〉と言う言葉に過剰に反応してしまう。

息子の母子手帳の成長の記録や、
幼稚園と小学校の頃の連絡帳を見ると、
吃音でどれほど悩んでいたのか分かる。

悩んでいたのは息子ではなく、私。。。

息子の吃音は私のせいだと思いこんで、
私は自分を責めていた。

息子に申し訳なくて、
息子を守りたくて、
先回りしていつも心配してた。

学年が変わる度に先生を訪ね、
学校での様子を聞きに行った。

喋り方を真似されてからかわれたり、
意地悪されたと聞いては泣いた。


「吃音があっても立派な職業についている」
そういう人を知る度に、
そこに希望を見ようとしてた。

だから作家の重松清さんの本は何冊も読んだ。
特に《きよしこ》は何度も何度も読み返した。
今も、まえがきを読むだけで涙が溢れる。



米田肇さんも立派な料理人。

その彼が7年前に大スランプに陥って、
死ぬことさえ考えたと言う。

吃音があっても無くても、
成功もすれば挫折もする。

当たり前のことなのにね。

あの頃の私は物事を何でもネガティヴに紐付けしていたな。


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今、息子はお友達に恵まれていて、
自分の好きなことを見つけるのも上手。
歌とギターとウクレレと料理が上手な高校生になった。


「人付き合いが苦手にならないかな」
「引っ込み思案な性格にならないかな」
私が心配していたようなことは起こっていない。

この先も何が起こるかは分からないけどさ、
何か起きたらその時に考えれば良い。

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米田肇さんや重松清さんみたいにすごい人にならなくていい。

なってもいいけど笑
自分らしくいてくれればどちらでも。


そして私は生きている間に
一度でいいからHAJIMEに行く( •̀ .̫ •́ )✧