私が子育てしていた頃に『ワンオペ』なんて言葉はなくて、
専業主婦の私が一人で育児と家事を担当することに何の疑問も持たずに過ごしていました。
疑問はなくても〈不満〉は溜まります(-ω-;)
子ども達が小さかった頃のある日曜日、
買い物帰りの私の前を、知らない家族が歩いていました。
お父さんが片手でベビーカーを押して、
もう片方の手はお母さんと繋いでいたの。
お母さんはストンッとしたワンピースを着ていて、小さなトートバッグを持ってた。
ラフな格好だけどオシャレで素敵な家族。
その時私は娘をベビーカーに乗せ、
息子を抱っこ紐で抱え、(二人は年子)
ベビーカーの持ち手にはS字フックに買い物をぶら下げて、
肩から大きなトートバッグ。
服も靴もバッグも、全然オシャレじゃない。
そして心の中で悪態をつきますww
「歩道を並んで歩いたら邪魔じゃん」
「ベビーカーは両手で押さないと危ないよ」
声に出していませんよ(^_^;)
心の中で、ですよ笑
羨ましかったの。
僻んでた。
知らない人に嫉妬してたの。
オシャレしてるのが、
家族仲良しなのが、
楽しそうなのが、
私だって大好きな大切な子ども達と一緒で幸せなはずなのに、
これが自分の望んだ生活のはずなのに、
幸せな人を見てモヤモヤする自分がイヤだった。
惨めな気持ち。
そして自分に言い聞かせる言葉はいつも
「仕方ない」
お母さんなんだから。
稼いでいないんだから。
いやいや、お母さんでもキラキラ幸せな人はいっぱいいるでしょ。
実際目の前で見ちゃったし。
もう十何年も前の出来事なのに、
その時の光景とその時の自分の気持ちを覚えてる。
あの頃は、心の声を無視してごめんね。
お母さんになる幸せ
女性としての幸せ
両方なんてダメ(両方なんてズルイって思ってたし、それができる人は特別な人だと思ってた)
特別じゃない私は、
モヤモヤの原因を「自分が稼いでいないからだ」
って思うことにした。
お金を稼がない自分には価値がないと思って、
卑屈になって、
その卑屈さは何年も続いてどんどん大きくなった。
あの頃 私は「働けない」と思ってた。
「私に出来る仕事なんてない。」と思っていたし、
子ども達を預ける事を考えると、
今のままで我慢した方が良いと思ってた。
全部自分が「思っていた」だけ。
できっこないって思い込んでた。
あの時、本当は どうだったのかな。
今、自分の気持ちを見つめる中で、
色んなことが変化し始めて思うのは、
あの頃の私、よく頑張った。
幸せそうなふりをしながら歯を食いしばって良くやったよ。
自分を惨めだと思って悲しくなる時もあったけど、
あの頃の自分を必要以上に可哀想がる必要はない。
あの時、頑張った私がいるから、
今の私になれたんだ。
ありがとう。
でも、もうあの時みたいなやり方は選ばない。
自分らしく生きるのは怖いけど、
怖い方を選ぶ。
自分で、決める。
決めたら動く。
自分に備わっている質を知って、
今までの思い込みを手放して、
自分のチカラを信じて、
あの時の私を、どんな未来に連れて行ってあげようかな。