1から10を数える思考があるとする。
「1から10を数えてる時に他の思考を起動させる事が出来たら…」
つまり、1つの脳で複数の思考を同時に起動させる事が出来たら。

「何かをするなら1つにしなさい!」と、子供の頃に叱られた事は無いだろうか?
個人的には理不尽極まりないと思う。

複数の事を同時進行するのは、単一の思考を効率良く切り替えているだけで、思考が複数同時に進行しているわけではない。

考えたい思考が車だとすると、2台の車が並んでいて、どちらかの車のアクセルを踏むと、もう片方の車は止まっている。
自分はこれを同時に走らせたい。


以前に、訓練をすれば可能なんじゃないかと思い、こんな事を考えた事がある。

 頭の中で1から10のカウントアップをして、頭の中の映像では20から11のカウントダウンをする。
 思考が1つしか起動出来ないなら、思考したい事柄を2つ用意して、その事柄を高速で切り替えながら思考をしていく。(歌を2曲用意して高速で切り替えながら歌う)

パソコンと同じで、思考が凄くスローで重くなる。
新しい時代の人間は新しいスペックのパソコンとイコールである。

新しい時代を動かすのは新しい人間で古い人間では無いだろう。
新しい人間が古い人間を必要とする時は「過去に同じ過ちをしたか」を確認する時だけで、古いスペックのパソコンでは新しい時代のソフトウェアは起動出来ない。

人の思考は1つしか起動出来ないのかもしれない。
だが、その思考は無限に広がる。
そして、新しければ新しいほど広がる速さが加速していく。
やはり「自分が楽になる」からなのだろうか。
一昔に「失楽園」なんて言葉があったけど、仮に「快楽」を求めるのが人の本能であるなら、現状や失楽からの逃避に過ぎない。

「好きになる」の優先順位に「外見(容姿)が好きな人」「考え方(性格)が好きな人」「権力・財力が好きな人」などがある。
好きな人の事を見ているのは間違いがないけど、結局は自分が楽になる好みを選択している。

足りない部分を補おうとする事が「好きになる」にならないように。
何かを与えてくれるから「好きになる」にならないように。
なぜ好きなのかを言葉で表現出来ない好きでありたい。

「なんで私が好きなの?」と言われ、何も言えない自分を見て君は「好きじゃないんでしょ?」と結論付けようとしたが、「言葉で表現出来ないほど好きなんだ」と言ってしまったら「言葉で表現出来る好き」になってしまうんだ。
だから何も言わなかった。

気持ちや感情を全て言葉に置き換える事が出来たら、どんなに楽なんだろうか。


会うのに理由と都合が必要ならいくらでも作ろう。
でも、「好きだから」以上の理由と都合は無いよ。
「なぜ会いたいの?」と聞かれたら「好きだから」と答え、「なぜ好きなの?」と聞かれたら「言葉では言い表わせない」と答える。

「君は人が人を好きになる理由をちゃんと説明出来るかい?」
と、本当はこう聞き返したいが君は楽しそうに微笑んでいたからそれで良かった。
使いこなせていないわけではなく、使おうとしない。
使うきっかけと機会とタイミングが無くてね。


基本的に一人が好きなんだが、いつからそうなったのかはわからない。
人に会うまでが億劫で、アポイントメントなどの約束を守らなければならないMUSTが自分には窮屈に感じる。
「オレは○時頃に△△にいるから都合が良かったら適当な時間に来てよ」ってのは許されないんだろうね。

両親のおかげで外見で苦労した事が無いのは嬉しい事だが、今まで外見を意識的に活かして何かをした事は無かったな。
後悔では無いが、あの頃のあの時に外見を活かす選択をしていたら、一人が好きな状況とは違った自分がいたのかもしれない。

今とは違う状況を求めるのは今を悔やんでいるからで、、、
仮面をつけて違う自分を演出しても、仮面をつけた自分も偽りの自分であり、本物も偽物も全部含めてそれが自分なんだ。

自分をプロデュースしきれなかった人生になりかけてる。
他人をプロデュースするのは得意なのにね。
それでもまだ一人を望むのか。