戦争体験談、聞いたことある?
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記念日に常々違和感を持つ。
今日は終戦の日
戦争
祖父が小三の時に終わったと聞いた。
祖父の家は焼け野原。
大きな柱が二本残っただけで燃えたと言っていた。
父親と長男の自分が家を建て直して家族の住む場所を作ったんだと話してくれた。
そしてそれがキッカケで祖父は大工さんの道を選ぶようになったんだと教えてくれた。
中学生の頃には大工さんのところに弟子入り?させてもらってそれから70過ぎ、80近くまでずっと大工の仕事してた祖父。
祖父の建てた家も何件かみたことがある。
怪我もよくしていた。酒飲みの祖父。
祖母は田舎の家に居候したそう。
そこは住んでたところより安全だからと。
祖母はよく言っていた
おばあちゃんの小さい頃は
炊いたご飯を茶碗いっぱいによそってもらうなんて
1度もなかったんだと
兄弟で少ないご飯を汁を入れて食べる
それもその一杯が1日のご飯だったこともある。
おかずが沢庵しかないこともあった。
いっただけのご飯を食べた時もあった。
あんたらは沢山の食べ物を選んで食べれる
それだけで感謝すべき事、残すなんてバチが当たる。
食べれないなら事前に言う、出されたら文句を言わず食べきるんだ。と
散々聞かされ好き嫌いしてることを怒られたものだった。
けれどまぁそこは祖母、孫にはなんだかんだ甘かったな。(笑)。
小学生のころ
社会見学として
防空壕のあるお家へ
中に入らせてもらったり当時どんな風だったか聞いたりした。
赤子は泣くからと入れてもらえなかったこともあったのだと聞いたときは酷い話だと思ったが自分がその時その場所に隠れていたら
助けることはしなかったんだろうなと今は思う。
生きたいと思う故に障害になりえるものを排除しようとするのは仕方ないことだったのかもしれないと。
小学生の頃は地域の人との交流会のようなものがあって、昔の人の生活や戦時中今の場所は畑や田んぼ川なんかもあったことを聞いたり当時の地図を見ながら探索なんてものあった。
今はどんどん体験者が減って
本当にそのうち同じことが繰り返される気がしてしまう。
今、世界のあっちこっちでお金がなくて困ってる。
社会の先生も親も戦争が起きるのはお金がないからだと言っていた。
この生活はいつまで守られるのだろう。
いつまで私達は笑顔で過ごせるのだろう。
人の命の重さは
国の一声で塵になる。
