
この頃から私の考えは変わらない
自殺すること自体を悪のように言う人が多いけどね私は死ぬことを選ぶのは悪とは思わない。
それを選ぶしかない世界に生きてる人がいることを知らな過ぎるんだと思う。
平和だから死ぬ人がいないなんてことない。
戦争しなければ平和だなんてこともない。
私は
20歳で自ら死ぬと決めていた。
15歳の私の決意は嘘でも偽りでもなく
その当時の私にとってはそれはとても真剣でそうでもしないとその当時を乗り切れなかった。
13歳の私は
クラスメイトから受ける行為を交わすことも受け止めることも出来ず
ただ心を閉ざし見ざる言わざる聞かざるを貫くことが唯一出来る事だった。
虫を食べろと言われたのもその頃だけだったし
消しゴムカス投げられてゴミ箱に入んねーんだけど笑笑と笑われたのもその頃だけだった。
クラスメイトに妊娠何ヶ月なの?と腹を触られたこともスカート捲られてコンパン履けよと言われたのもその頃だけだった。
その頃が過ぎれば記憶の1つでしかなくなる。
けれど今それを受けてる人にとってその行為は
明日も明後日も1年後2年後その先も続く地獄の様で終わりの見えない痛みなんだ。
そしてそれらから逃れる道は
死ぬこと
生き方なんて誰も教えてくれない
この世にあるのは死に方ばかり
飛び降りる方法
飛び込む方法
首吊る方法
手首切る方法
意図も簡単に見つかる。
明日を消す方法は
自分が消えること。
私はその当時
未来の
私宛に何通も何通も手紙を書いた。
遺書も沢山書いた。
この世にいられないと
誰にも話せない憎しみや怒りも全て書いた。
今でも残してある。
当時の痛み
死なないことは当たり前じゃない
当時の私にとっては生きることは勇気のいることだったし踏ん張る心が学校に行くたびに折られては何千回と頭の中で自分を殺して死に方を考えてた。
夜は寝れない
このまま夜であればいいのに
数え切れないくらい願った。
私が今生きてるのは生きることはいいことだとわかったわけでもなく生きていたいことが身に起きたからでもない。
ただ私は生きる期限を伸ばしただけ。
今のところ50歳まではとりあえず頑張って見ると決めているけど短くなることだってあるだろう。
人は誰も強くない。
明日を望んでいる人なんてそう多くもない。