ツイッターで知った。
耳が聞こえることの当たり前さが
どれほど助かっているか。
聴こえない人と初めて話したのは小学生の時。
手話サークルの先生達は本当に聴こえない⁇って思ってしまうくらい話好きで個展の話や子供の話、勉強ちゃんとやれよーとかわからないとこは他の手話出来る人達が言葉を通訳してって当たり前に会話しててだから余計、話せないって思ったことも聴こえないって思ったこともなかったんだよな。
相手の言葉を汲み取れなくて悲しくなったのは高校生のバイトの時
欲しいものを探してあげれず手話の出来る職員はいないからと誰も変わってもくれず筆談をと紙を出しても書けないのだとジェスチャーされ
求めてるものをひたすら手話されてだけど汲み取れなくて申し訳なくて
結局手作りするからいいわ〜と缶で買って行かれてホントに伝えてくれてることを汲み取れない自分が情けなくて仕方なかった。
手話が出来たらと何度か思う瞬間に出くわしてきたのにやっぱりやってなくて未だに‥こんなんだからダメ人間のままなのよな。
とある本を読んだ時にあった
この世界は五体満足の人達が作った世界ってニアンスの言葉。
階段があるのは足がある人達が作ったから
押しドア引きドアなのは手がある人達が作ったから
等々
バリアフリーがまだまだ少ない。
字幕が出るようにって
耳が聞こえない人達だけじゃなく
老いて聴こえづらくなってるばあちゃん達見てても思う。
あれは字幕ないからコレ見てるんだって聞くと
見たいのにみれないんだって
悲しくなった。
人はさ
老いるのに
目が見辛くなるし
耳は聞こえづらくなるし
体は疲れやすくなるし
手や足は動きにくくなる。
車椅子でしか生活出来なくなることも
ベッドの上から動けなくなることもあるのに
それが若い人達に起きてると
途端に無神経に
知らん顔し出す。
若いってだけで
自分の身には起きないって思ってるんだろうな
起きたら目が見えなくなることはあり得る。
耳が聞こえなくなることはあり得る。
けどそうならないと不便さも
悲しみも気づかないし気づけないのよね。