15歳の私はある決意をする。
その決意は揺るぐのか本人にもわからないまま生きて結果変わった正確には伸びただけで本質は変わってないのかな。
考えが変わったきっかけは舞台だった
都合よくあれは私へのメッセージなんだと受け取った。だから今を生きている。
15歳の私と基本的な考えや他人との関わりは変わってないけれど大きく変わったなと自分で実感している
色々な世界をみて色々な人の話聞いて
考えが変わったのにもう1つ理由があってね
それがタイトルの死後の世界につながるんだけど
私ね思うことにしたの
沢山色々経験して大好きで私を可愛がってくれた先に旅立った愛する人達にいっぱい思い出話しようってそんでいの一番に愛犬を抱き締めようって。
姿変わってもきっと見つけれるって思っていようって
死後の世界を否定してる人は多いけど想像は自由でしょう。「本当」は誰にもわからないのだから。
もし途中(事故や殺人など含むこと)で終わってもそれまでの生きてきた思い出を沢山沢山話そうって決めてるの
待っててくれてるといいなぁって。
辛いこともあるし嫌なこともあるけどやっぱりそれ以上に幸せなんだ
死にたくて仕方ないけど明日なんて消えてなくなれって何千と願うけど
終わらせないんだ
大好きな人達に胸はれなくなるから
私は安楽死も自殺も正直に言えば肯定、と言うかそれも選択肢なのかなって。そんなに責め立てることかなと思ってる人だからね。
中学生の時にね辛くて本当に今思えば自爆やんって話だけど何千何百って頭の中で死に方考える毎日でカッターを手首に当ててはリスカしたら皆私への嫌がらせやめるかなとか考えてた。結局どれも弱虫な私は出来なかったけど。
友達でさえ私には苦痛の原因になって家族に当たり散らして居場所どんどん失ってた。たまたまそんな頃構ってくれた夫婦がいたから私はやってこれた。
友達(二人)の存在も大きかったけど。
世界は小さいんだなって
15の私ね授業中の癖がね枝毛探して抜くのと爪を歯で切ることだったんだよね。机の上が髪の毛で埋め尽くされるの 本当にキモいよ
でも止めれなかったんだよね当時は。頭おかしいよね(笑)
まぁだからこそその頃を思えば今の大概の出来事は耐えれるんだ。
学んだよ人は醜いってきっとそのせいなのか私は人を信じてない
人間不信だって言い当てられたくらい。
長々書いたら文字数なくなってしまったや(笑)