日本全体を1000年以上守護しておられる奈良の大仏様。創建の聖武天皇のみならず、1000年の日本国民の祈りがこめられいる。日本人なら、修学旅行以外でも折りにふれて、お参りしたい。先日、平成23年3月30日、NHK歴史ヒストリアで奈良の大仏様のことがやっていた。戦国時代に大仏殿もろとも炎上した大仏さまは江戸時代に至るも100年近く野ざらしにされていた。「奈良の奈良の大仏さんは天日にあたり・・・」みたいな童歌(わらべうた)が流行ったという。当時の東大寺では費用のかさむ大仏様の修復と大仏殿の再建には消極的だったが、公慶僧侶は37歳にて再建を誓い、「天下の仏心を集めて一仏となす」と訴え、幕府から「勝手次第」の許可をもらった。カネは出さぬが、やるのは勝手と許可をもらったとか。10億円の大仏様本体の修復資金を集め始めた。1687年から勧進を始め寄付を集め続けた。聖武天皇 、また500年前に中興再建した重源僧侶両先人の意志を継ぐものであった。京都なら、あらゆる小路地を回り尽くした。小
口の寄付の積み重ねであり、奈良大和郡山地域の勧進帳には「かめ5文」等の記載も残っている(1文25円)。7年かけて10億円集めた。1691年(元禄4年)大仏様の修復が完成。その後、大仏殿の再建(費用10倍=100億円)課題が残された。費用の捻出は絶望的であったが、公慶は綱吉将軍の心を動かし、徳川幕府が大仏殿再建の援助をすることとなった。巨大な大仏殿の梁にする巨木を見つけるために全国を探し求め、宮崎の白鳥神社に発見、巨木は奈良まで、運ばれることとなった。あまりの大きさに鹿児島の回船問屋も運搬に手こずった。船積み方法は観音様のお告げで実現し、ようやく瀬戸内海を通過し、淀川から内陸に運搬される。おカネを寄付する代わりに運搬に無償奉仕した庶民達。1708年、大仏殿落慶。その数年前の1705年公慶僧侶は落慶を見ることなく 逝去されていた。続けて行っていた建立資金の為の勧進の旅先で亡くなったという。東大寺公慶堂では毎月12日命
日法要が開かれている。(以上、"歴史ヒストリア"さんでのいいお話の記録)東大寺では3月12日を中心に修二会(お水取り)という、やはり1000年日本を守護するための仏事が修されており、3月に奈良に行ける時はお参りしたいものである。