瀬戸内寂聴師によれば、"人間の心の中には「無明」という「まっくらなもの」が居座っていて、心の悩み、煩悩はそこから生まれるという。苦悩=無明が生み出した幻=実体はないものあり→「心のとらわれ」をなくせば「苦」も「悲しみ」もなくせるという。また、ダライラマ猊下がいうには、無明→すべての物のありようを知らない事であり
すべての物のありようを知る事は→この世に存在するすべてのものが、いったいどのように存在しているかを理解する事である=智慧を自分の心の中に育むこと→「知らない」という「無明の闇」を徐々になくしていくことができる、という。祈願でもなく、信心でもなく、慈悲の心でもなく、智慧こそが無明の闇を晴らすことのできる力を持つという。「教えを聴くことは'無明の闇'を晴らす灯火である」と釈尊もおっしゃるという。これら諸師の「教え」を聴いて、自らの智慧を育み、また、その智慧の力をもって「心のとらわれ」「わだかまり」ができたり、こびりつきそうにになったら、これを捨て、自らの心の中の「無明の闇」を晴らしていきたいものである。「教えを聞いて何か新しいことを学び、学んだことについて自分で考えるという実践によって智慧を育んでいけ」という釈尊のお言葉も猊下は紹介している。"南無文殊菩薩・オン・アラハシャナウ(文殊菩薩真言)・無明快晴"(参考・瀬戸内寂聴著「絵解き般若心経・朝日出版社」 ダライラマ著「心の平和・サンマーク出版」)
すべての物のありようを知る事は→この世に存在するすべてのものが、いったいどのように存在しているかを理解する事である=智慧を自分の心の中に育むこと→「知らない」という「無明の闇」を徐々になくしていくことができる、という。祈願でもなく、信心でもなく、慈悲の心でもなく、智慧こそが無明の闇を晴らすことのできる力を持つという。「教えを聴くことは'無明の闇'を晴らす灯火である」と釈尊もおっしゃるという。これら諸師の「教え」を聴いて、自らの智慧を育み、また、その智慧の力をもって「心のとらわれ」「わだかまり」ができたり、こびりつきそうにになったら、これを捨て、自らの心の中の「無明の闇」を晴らしていきたいものである。「教えを聞いて何か新しいことを学び、学んだことについて自分で考えるという実践によって智慧を育んでいけ」という釈尊のお言葉も猊下は紹介している。"南無文殊菩薩・オン・アラハシャナウ(文殊菩薩真言)・無明快晴"(参考・瀬戸内寂聴著「絵解き般若心経・朝日出版社」 ダライラマ著「心の平和・サンマーク出版」)