" 月影や四門四宗もただ一つ"芭蕉 ・・・ 善光寺は八宗兼学(たくさんの宗派を兼ねて学ぶ、平行して学ぶ)を打ち立てて、どの宗派にも属さない。もともと、釈尊の仏教に派閥があること事体おかしなことだ。("派"と言う言葉は最澄師が言い出したらしいが)。みな、「うちが正しい。他は間違い」また、墓地募集広告にみられる「在来仏教に限ります」の内輪意識フレーズ。在来仏教?って何を指してるのか。釈尊公認でないことは確かだ。今後は八宗兼学こそ、これからの仏教者の正しい姿勢だろう。善光寺和讃にいわく、 "五十鈴川きよき流れはあらばあれ 我は濁れる水に宿らん" 清き流れに対比するところの人々の欲望から生まれる習俗や信仰がつくる濁った大きな流れ(濁世・ジョクセ)をのみこんでくれるのが善光寺だと五木寛之氏が著書「百寺巡礼第5巻」(講談社文庫)で書いておられる。「濁る川に生きる覚悟をする寺」だと。今年の正月も長野に帰省している関係上、善光寺参りから。周辺社寺の善光寺七福神・恵比寿様の西宮神社、善光寺七社の一つ・タケノミナカタノ命を祀る武井神社、同じくタケノミナカタノ命を祀る県社水内大社(木匠祖神を境内に発見)、善光寺七福神・寿老人を祀るかるかや山等、善光寺さんを中心にお参りした。線香の煙をを時折味わいながらの、平和な雰囲気の中、街歩きをした。仲見世の仏具店では、ふと手にとった経典「修証義」に惹かれるものがあり、370円にて購入させていただいた。わかりやすそうな日本語で教えが説かれているようだ。