かずみさんの告別式や亡くなった現場で

たくさん泣いて

テレビや雑誌の報道を見て泣いて

部屋のポスターやかずみさんの歌で

布団をかぶり声を出して毎日泣いて

本当に行き場も無くやりきれない毎日で

精神的な部分で過呼吸や情緒不安定で

安定剤や寝付きの薬も処方されたりして

親や周りからもいつも心配をされていました。


97年の夏前にかずみさんのお墓が出来て

すがるところが本当に無かったので

かずみさんの墓前に何回も何回も行きました

夏、秋、冬、そしてまた春…

かずみさんのお父さんが月命日の 9日に

いつも訪問をされていたので

自分はいつもかぶらないように中旬、下旬に

気持ちが溢れるときに訪問をしていました。

いつもお花を用意したり、写真を作ったり

手紙を書いたり、歌を聴いたり

スピーカー置いてかずみさんと聴くことも

いつもお寺の方に挨拶を入れて

今日は写真を立てたり歌を聴いたりで

墓前に少し長い時間居ますと伝えたり

折りたたみのイスで何時間も居ることも

何回もありました。


年を越えた 98年の最初のころに

このままかずみさんの一周忌を迎えたら

いつものように何か飾ったり出来るのか?

出来ないのか?

そもそも一周忌の日は、いつものみたいに

墓前まで会いに来れるのか?

またテレビ局が来て記者やカメラマンがいて

また入れないかもとは分かっていたけど

可愛かずみさんファンとして

かずみさんに届くように何かしてあげたいと

思いました。

せっかくなら今までにないくらいに大きい

写真を飾りたいと思いました。

プロの写真スタジオに依頼と相談をして

出来るけど費用がかかると言われたけど

構わなかったので

1メートルに近い大きいサイズと

その半分のサイズを互いに作ってもらい

かずみさんの命日に向けて準備をしました。



1998年 5月 9日

迎えた、可愛かずみさんの一周忌法要は

報道陣シャットアウトの中で行われました。

朝の 7時ごろに到着して、お寺の方に挨拶して

お寺の方に許可を頂いて入れてもらって

かずみさんの墓前に 1メートルの写真を飾り

ました。



この笑顔のかずみさんが、この日には

似合うかなと時間をかけて選びました。

いつ見ても可愛かずみさんらしい

とても可愛い笑顔だと思います。

この笑顔が今でもずっと大好きです。


飾ることに指摘を何か受けたら片付ければ

いいやと思い、まだ誰も居ない墓前で

写真を飾りかずみさんとの二人の時間を

過ごしていました。

一周忌法要は 12時からでしたけど

11時ごろには本日参列される方々が一度

かずみさんの墓前に挨拶に来る方が何名も

居ました。

かずみさんの大きい写真を見て

わぁーかずみちゃんだぁ💕 とか

いつも可愛い方でしたよねぁ💕 とか

一言、二言声をかけてくれる方も居ました。


同じ 11時ごろに、かずみさんのお父さんが

墓前に来てくれて1人でいた自分に声を

掛けてくれました。

"いつも来てくれている方ですよね"

"いつもお寺の方から聞いていました"

このあと法要と食事会をしますので

参加をして下さい。 と

お父さんから優しく誘って頂けました。

墓前の写真もそのままでいいですよ。

かずみも喜んでいますし、参列された方も

喜ぶと思います。

本当にいつもありがとうございます。

と、かずみさんのお父さんにお礼の言葉を

言って頂けました。

誘ってもらえるなんて思ってもいなかった

ので本当に心から嬉しく思いました。

大切な一周忌法要の時間をかずみさんと

墓前で過ごせたらと思い今日は来たので

ほんとに嬉しく思いました。


お寺の中は想像もしていなかった別世界で

お父さんが中まで連れて行ってくれて

お寺の入り口も誘導の係りの方も何人も

居ましたけどお父さんが案内してくれました

本堂には綺麗な花がいっぱいに飾られた

大きな祭壇にかずみさんの遺影もあって

かずみさんのお父さんにお姉さんに

親族の方に、仕事関係の方に

かずみさんと親交のあったテレビで見かける

スポーツ選手やタレントさん達が目の前に

全員で50人くらいだったと思います。

ファンは自分だけで、かずみさんに関わる

方達だけで、今さっき数分前の時間とは

あまりに違い過ぎて、今までにないくらい

緊張をしました😅

参列したタレントさん達と同じテーブルに

自分の座席も食事も同じものがきちんと

用意されていて、かずみさんのお父さんには

感謝しています。  

場は終始和やかでお父さんやお姉さんを通じ

タレントさん達、かずみさんの人柄や

生活環境まで見えてきそうなくらい良い

雰囲気を感じていました。


かずみさんの祭壇でかずみさんに一人づつ

手を合わせるときは

告別式で外から見えた小さな祭壇も遺影も

今は目の前に大きくあって

かずみさんと一対一で向かい合えるなんて

思ってもいなかったので

自分が今ここに座っていることが不思議で

想像の世界でなく本当にかずみさんの前に

座っていることがなんだか嬉しくて悲しくて

泣きながら手を合わせました。


かずみさんの墓前に一人づつ手を合わるとき

最初にかずみさんのお父さんが手を合わせる

少しだけの時間が報道陣に許されました。

自分は飾った写真の奥手で順番を待ちました

ほとんどの参列した方がチラッと見ながら

手を合わせてくれていました。

費用は掛かりましたけど思い出と記憶に

残るパネルになって良かったです。

数年後の爆報フライデーのかずみさんの

特番の放送でもパネル写真が映っていました

今でも大切に保管をしています。



お父さんとお姉さんがお寺の玄関で参列を
された方達のお見送りをするときは
自分は今での募る思いがたくさんあったので
いちばん最後になるように順番を待ちました

お父さんとお姉さんから
いつもありがとうございますと言って頂いて
いつもお寺の方から
いつも来ている熱心なファンの方がいると
聞いていました。
いつもかずみのためにありがとうございます
順番が最後だったので自分からお願いをして
いつも良くしてもらっていたお寺の方と
お手伝いの方みなさんを呼んで頂くように
お願いして、お手伝いの方までみなさんに
玄関に集まって頂いて
今日はかずみさんの大切な一周忌法要に
参列させて頂いてありがとうございました。
心を込めてちゃんと挨拶をしてから
かずみさんの墓前にもう一度行って
かずみさんに挨拶をしてから帰ります。
と、お寺の玄関を出ました。
今一度かずみさんの墓前に行って
かずみさん今日はありがとうね
と、伝えたくて伝えたくて
きっとかずみさんが見ていてくれたから
かずみさんが招いてくれたのかなぁ、と
嬉しくて、もうひと泣きしてしまいました。
墓前に最後まで飾っていた笑顔のかずみさん
帰り際に泣いたときのなんとも心地の良い
気持ちとかずみさんの笑顔がすごく優しく
見えたあの日のことは今でも心に焼き付いて
います。

かずみさんのお父さんにお姉さんに
親族の方に、仕事関係の方に
タレントさん達、お寺の方に
皆さんとこの日出会い知り合え
同じ気持ちを背負い抱きしめ
そんな皆さんに良くして頂いて
かずみさんを通じてこの日参列した方達の
優しさを感じることが出来ました。
ファンは自分だけでしたけど
この場に一緒に参列出来たことは
悲しくもあり嬉しくもあり
それでも自分がこれから生きて行く中で
大きな支えになって
永久に忘れることのない
1998年 5月 9日
可愛かずみさん一周忌法要 になりました。



あれから26年
自分の居場所を作ってくれたことや
出会いや別れ
いつまでも変わることのない
かずみさんへの思い。
お父さんやお姉さんへ感謝の気持ちで
いつもいます。