記者の方に教えてもらった

かずみさんの告別式の場所と時間…

遠くからでも、たとえ見えなくても

やっぱり近くに感じていたいと

かずみさんを思い寝れなかった夜…

知っているのに行かなかったら

この先きっと後悔すると思いました。


1997年 5月 12日 月曜日

告別式までのかずみさんとの残された時間を

少しでも長く居たいと思い家を出ました。

お寺に到着できたのは朝の6時ごろで

かずみさんの告別式は12時からでしたので

かずみさんとの残された時間、6時間を

大切にしながらお寺の前で待っていました。



まだお寺の前には誰も居なくて

お通夜のときの報道陣の脚立とか三脚とかが

場所取りも兼ねていくつも置いてありました

本当に自分1人だけのこの場所と時間。

お寺にたどり着く道の最後の角を曲がって

故・可愛かずみ・儀.葬儀式場

かずみさんの大きい看板を見たときは

本当にかずみさん亡くなってしまったんだと

絶望や悲しさや寂しさを思い知り

お寺の前で1人寂しい思いで待っていました

お通夜に来れなかった分も1分でも長く

かずみさんと居たかったことと

まだ誰も居ないこの場所を写真に残して

おきたくて、過ぎ行く一瞬をいつまでも

忘れずに残していければと

連日シャッターを切っていきました。


この日は月曜日でしたので

朝の7時ごろから報道陣が増え始めて

ワイドショーの中継の確認も始まり

各テレビ局の人も囲み取材を覚えていて

朝の挨拶もさせて頂きました。

まだそのときはファンは自分だけでしたので

報道陣の方が気を使ってくれて

報道陣と同じ場所に入れてくれて

テレビカメラや記者のカメラマンとかに

混ざって立たせてもらい正面玄関前で

見守ることが出来ました。

時間が経つにつれて人が増えていき

黒服の警備の方に、警備服の警備員も増え

お寺の前から敷地を出た先のコンビニまで

報道陣やカメラマンに関係者の方に

一般的な方に、タレントさんに著名な方に

いつもテレビで見る、あの方、この方。

300人~500人くらいは最終的には

居たんじゃないかと思います。



報道陣と同じ入り口正面で見届けることが

できましたので

テントや建物の影の奥に小さくですけど

かずみさんの祭壇や遺影も見ることが

出来ました。


最後は本当は言いたくなかったけど

このために今日は来たのだから

泣きなからでしたけど、かずみさんに

さよならを言えて見送ることが出来ました

お寺からかずみさんが運ばれ出てきた時は 

もっと近くにと思い出来るだけ前に行き

必死になって動き回りました。

もう本当に最後の時間で何台もの車が

動きだすときは

顔がシワクチャになるくらい泣いて

本当に悲しくて悲しくて身動きも出来ず

泣きながら何度も何度もかずみさんに

届くように大声をあげて見送りました。



最後は報道陣の方達にも正面で見えるとこに

入れてくれてありがとうございましたと

ちゃんと伝えました。

報道陣の方達から、頑張ってねと優しく

言って頂きとても嬉しく思いました。


しばらく方針状態でその場から動くことが

出来なくてかずみさんの歌をイヤホンで

聴いてぼんやりとしていて

告別式の終わりと共にその場から人が減り

いよいよ業者も入ってきてテントの解体

看板の解体も進み15時ごろには

何事もなかったように元の景色に戻って

いました。

この3日間かずみさんを追いかけてきた

時間も今日で終わってしまうかと思うと

寂しくて悲しくて今まで大切にしてきた

ものを取り上げられてしまったような感じ

かずみさんこの先どうすればいいの?

迷子になった子供のように立ち止まって

本当にどうすればいいのか分からないまま

その場から動けなかったです。

1983年から大好きなかずみさんとの時間も

まさかこんな終わりになるなんて

想像すらしてなくて悲しくて悲しくて

涙が止まらなかったです。


家に帰り着くと

かずみさんの笑顔のポスターでまた泣き

録画したワイドショーの番組で

追いかけて泣いた現場やお寺が映り

見てきたこととシンクロして胸が苦しくて

現場に供えた花束がスポーツ新聞の一面に

なったり、想像もしていなかったけど

スポーツ新聞をコンビニで初めてみたとき

うそ!一面じゃん!買うときも読むときも

ほんと想像すらしてなかったので心が

痛かったです。





でもあの日に現場やお寺に行かなかったら

今こんなふうに当時を思い返すことも

出来なかっただろうし

たくさん泣いて悲しくて辛かった思いも

したけど無理をしてでも行って良かったと

思っています。

あのときの1コマ1コマが27年経った今も

ふと頭に出てきて泣いてしまうことが

今でもあります。