あの日の悲しみ…

たくさん泣いてくるしんで…


それでもかずみさんが大好きだから…

いつまでもずっと…


1997年 5月 10日 早朝

かずみさんの訃報の第一報を聞いたときは

とにかく信じられず、何も考えることなく

着の身着のまま現場に向かいました。

現場に到着できたのは朝の6時30分ごろ

だったと思います。

まだ報道陣も集まりきっていなくて

取材という取材もまだ始まってない感じで

自分も何も情報がなく飛び出して来たので

ただ近くで今の状況を見守ることしか

出来ませんでした。

でも何かがあったんだという空気が

周囲を取り囲んでいました。

きっと住人の人とか通りがかりの人に

取材をしようと構えていたんだと思います。



近くでこの状況を見守っていたんですけど

何のために早くここに来たのか

ただ見るだけのために来たのか

ここで起きたことが本当なら

自分がしてあげられることはなにか

可愛かずみさんのファンとして

大好きなかずみさんに出来ること

現場にまだ供えているものは何も無く

今は花束を一番に供えたいと思いました。

でも右にも左にも花屋さんて見当たらないし

かと言って戻るのも嫌だったし

少し焦る気持ちもあって

現場で待機をしていたテレビ朝日の

リポーターのみといせいこさんに

声を掛けさせてもらって頼んでみました。

可愛かずみさんのファンで急いでここに

来たんですけど、花束を供えてあげたくて

お花屋さんまで連れて行ってくれませんか?

切実な気持ちが伝わるように伝えました。



現場に一番早く到着したファンでしたので
テレビ朝日のスタッフの人も最初に一瞬
えっ本当ですか!って感じになりましたけど
みといせいこさんとスタッフで相談を
してくれて、即OK が出て
スタッフの人が、今すぐ行きましょう!
と言ってくれて、少し離れた所で
テレビ朝日のワゴン車に乗せてもらい
お花屋さんを探しながら運転して
お花屋さんに連れて行ってくれました。
車内でオフレコの取材が始まっていて
帰りは現場まで乗せてしまうと
他のテレビ局の報道陣に誤解を
与えてしまうので現場近くで降ろします。
あとは歩いてきて下さい。
花束を持って歩いて来るところから
100%報道陣に囲まれますけど
あとでまたよろしくお願いしますと
テレ朝のスタッフの人に言われました。
それでもテレビ朝日さんのおかけで
かずみさんに供える花束も用意できて
まだ現場に花束とかも何も無かったので
初めて来たファンで花束を抱きしめ
報道陣に囲まれながらでしたけど
いちばん最初に花束を供えることが
出来ました。
インタビューも取材もたくさん受けました
それでも報道陣の人に教えてもらったことが
現場でしか分からないことを見て感じて
たくさんのことを教えてもらいました。 
本当に大変なことになってしまったと
改めて感じました。
最初ここに来たときの嘘であってほしい…
信じたくない気持ちは打ち砕かれ
この場の雰囲気と増えていく報道陣…
ビルの前で噂話しをするように集まる人…
あの現場の空気と光景は今も忘れない。
たいへんなことになってしまったと
事実を感じさせるほど悲しかったです。
この目の前で起きていること
この光景がとても耐えられなかったので
反対車線の歩道側のビル全体が見える
ところで1人しゃがみこんで
かずみさんの歌をイヤホンして聴いて
ビルを見ながら悲しくかずみさんの歌が
体の中で鳴り響き涙が止まらなかったです。
時間が経つのも忘れて1人で泣きました。


帰りにスポーツ新聞を買って帰りましたけど
あまりにストレートな見出しでまた傷つき
日刊スポーツの神宮球場でのかずみさんの
笑顔の一面がとても悲しくて悲しくて
胸が張り裂けそうなほど狂い泣きしました。
部屋にはいつもかずみさんのポスターが
飾ってあって、いつも笑顔のかずみさんが
こんなに悲しく苦しく見えることは
初めての夜で、涙で寝れない夜…でした。