保育園のころ
わたしの保育園での記憶は一つだけだった。
園庭で遊んでいると、昼過ぎに母親が迎えに来て児童発達支援センターに行く事だ。
週に何回だとか月に何回だとかは覚えてないが、母親が迎えに来て
「なんで、僕だけ途中で帰るのだろう」
と思ったのを覚えている。
しかし、その頃はなんとか立って歩ける程度であったと後で聞いて知った。
児童発達支援センターでは指導員の方に大変お世話になった。何をしたか覚えてないが、家に帰った後も足首に器具を装着し歩く練習をしている写真が残されている。
祖父にも練習用の木で作れる物を作ってもらい、一所懸命に歩く練習をしたらしい。「らしい」というのはわたしは覚えてないのだ。
保育園を卒園した頃にはしっかり歩けるようになり、近所のおばちゃんから
「歩けるようになったんだね」
と言われた事を覚えている。
そこが、介護の仕事を選ぶ原点になったのかもしれない。お世話になった人にはとても感謝している。今度は自分が人のためになりたいと思ったからこそ介護職を始めたんだと思う。
続く…
わたしの保育園での記憶は一つだけだった。
園庭で遊んでいると、昼過ぎに母親が迎えに来て児童発達支援センターに行く事だ。
週に何回だとか月に何回だとかは覚えてないが、母親が迎えに来て
「なんで、僕だけ途中で帰るのだろう」
と思ったのを覚えている。
しかし、その頃はなんとか立って歩ける程度であったと後で聞いて知った。
児童発達支援センターでは指導員の方に大変お世話になった。何をしたか覚えてないが、家に帰った後も足首に器具を装着し歩く練習をしている写真が残されている。
祖父にも練習用の木で作れる物を作ってもらい、一所懸命に歩く練習をしたらしい。「らしい」というのはわたしは覚えてないのだ。
保育園を卒園した頃にはしっかり歩けるようになり、近所のおばちゃんから
「歩けるようになったんだね」
と言われた事を覚えている。
そこが、介護の仕事を選ぶ原点になったのかもしれない。お世話になった人にはとても感謝している。今度は自分が人のためになりたいと思ったからこそ介護職を始めたんだと思う。
続く…
