実は今日4日まで正月休みだったのですが、去年の9月からひきづっている、8月末に災難だった怪我(第一腰推破裂骨折)前の日記ブログに書いてありますが、想定外の後遺症で、公私共にの生活に苦痛をともなって、前に出来た仕事・余暇の趣味スポーツ等も満足にできなく困っていますし、
退院後もモチベーションが4ケ月も下がっています。
去年から4ケ月!!!痛いのは日常茶飯事で、立ったり座ったりで時々に痛みをともないます。
今日、セカンドオピニオンではないですが、違う総合病院に朝の8時前から行き初診にて、夕方4時過ぎまでかかった診察診断してもらいわたしが思い描いてた、再手術リハビリ計画は、困難だと宣告されました。
「私が経験した23年前の11時間の手術・10年前の13時間の手術」
が、診療科は違いますが影響していて、手術がかなりのリスクをともない、今の時代でも50パーセントの確率になるそうです。
今日の医師も進めなかった手術をしなく何とかリハビリで前の体に近づくべく頑張ろうと思いました。
JIN仁という時空を超える人気のドラマが5年前?にありましたよね!?。
そのドラマのセリフに「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が使われています。
この印象的なセリフは、聖書の中の言葉が元になっていて。
具体的には、「コリント人への手紙 第一」の第10章第13節にあるそうです、
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。
神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。
という、みことばが出処でしょう。
ご存知のように、日本での神も八百万(やおよろず)の神っていって、縁結びの神とか、
昔の大名(○○○○さんとか)が神になってたりとか、山とかも御神体として神さまになったり、といったように、色んな多数の神がいると想定されています。
しかし、上記の「神は乗り越えられる試練しか与えない」というときは、
まだ神さまを信じてない人も、そういう八百万(やおよろず)の神ではなく、
唯一の神をイメージしてるように思います。
そう考えると、何のいろいろ外国の宗教も神理解できるように思います。
ほんとに、神は、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません、私もそう思いたいです。でも、必ずしも試練を乗り越える必要はないのかもしれません。聖書には、「耐えられるように、試練とともに脱出!の道を備えてくださいます」ってありますし。
試練を乗り越えるというと、なんか人間が自分の力で、がんばる!って感じがしますが、試練を耐えられるように、脱出の道も備えてくださっているっていうと、むしろ、目に見える自分の力に頼りすぎないって気になるし、
脱出!してもいいんだ、頑張らなくてよいよ!神さまを信頼して委ねていけばいいんだっていう神さまの愛に気付きます。
ドラマのセリフを通じて興味をもった私も他に試練にあってる方も、神にすがり試練を共に乗り越えてもらいたい・・・と、年頭に思います。