これは宗教の話しです
読む際には、多少の注意が必要です
何らかの宗教団体に属し、完全に信じている方は
読むのは避けることをお勧めします
始めに書いておきますが、私は完全な無宗教者です
なにか矛盾を感じていたり、疑問がある方、悩んでいる方の力になれば嬉しく思います
それでは、始めます
現在、存在しているいかなる宗教においても
必ず、仏教で言う「御利益」という概念が存在します
人間が何かを行うことで、何かが返ってくるという概念です
これは、具体的にどういうことかと言えば
「〇〇にお参りしたので、良い事がある」
「信じているので、救われる」
などという考え方です
この論理を逆に言えば
「〇〇をしたので、神は人間に返さなければいけない」
とも言えます
これは神と人間が対等、もしくは人間が上だということになります
この論理は西洋宗教においてもまったく同じです
そして答えもまったく同じです
最後には、神を下に見るか、論理破錠しかありません
(下に見ている時点で破錠とも言えますが…)
キリスト教、イスラム教を生み出した、紀元前のユダヤ教の基本構造を例に出してみます
もちろんユダヤ教も「神との契約」の概念で
強引に言えば、神と契約して、人間が契約どおり行動すれば
神は、御利益をくれるという、日本の「御利益」の概念と同じでまったく変わりません
そして、残念ながら、この御利益主義は
歴史や経過を見れば、それぞれが矛盾しているといえます
ユダヤ教は大きく分けて3つに分けることが出来ます
具体的には
1、神殿主義(サドカイ派)
2、律法主義(ファリサイ派)
3、修行主義(エッセネ派)
になります
1の神殿主義の矛盾は
所得の10%も税を払い立派な神殿を維持してきたのに
イスラエル王国はアッシリアに、ユダ王国はバビロニアに滅ぼされ奴隷となったという神殿主義の矛盾
2の律法主義の矛盾は
律法を神との契約通りに守っているかを判断するのは
結局人間の側、(それも通常自分自身)であり
実際に神との契約が守られて、罪人ではなくなっているか否かは、死ぬまで分らない
つまり何の救いにもならない、もしくは、人間が自分で神の満足レベルを決めるしかないという矛盾です
3の修行主義の矛盾は
いくら荒野で荒行をしても、結局、神は、人間とは関係なく判断するのであり
律法主義と同様、荒行が御利益の保証には全くならない、という矛盾です
残念ながら、これらの矛盾は、現在のどの宗教にも存在しますが
これこそ、ユダヤ教の改革者であったイエスに指摘されたものです
ここで、イエスの主張は
神と人間が契約するなどとはおこがましいという主張だったといえます
全ては神の側が決めるのであり、人間の側が何をしてもおこがましいということです
また、「神は既に我々と共にある」
もしくは「神は無条件に人間を愛している」という主張です
だからこそ、逆に、例えユダヤ教律法主義で規定された罪人であっても
神は許す可能性があるという論理となります
全ては神の側が自由に決めるのであり
人間と神が契約という立場で人間が神の行動を制約するような
対等もしくは、人間優位な関係なのではないという主張です
勿論、この「神は既に我々と共にある」という主張を受け入れれば、この論理に矛盾はありません
紀元前のユダヤ教を含む多くの「御利益主義」宗教が抱える本質的な問題を解決する画期的な主張でした
この主張により、イエスは全てのカルト的原始宗教の矛盾を断ち切ったといえます
つまりイエスの言うカルトとは
見返りや、御利益を「約束」する宗教すべてに対してです
個人的に、この論理はとても素晴らしいと思います
かなりイエスを持ち上げましたが
公平性を保つために補足も書いておきます
イエスはまったくの想像上の人物でしかない
というのが、学問に基づいた今のところの答えです
イエスが実在したとされる地中海辺りの、どの歴史家にも記述にもまったく登場せず
そのような人間がいたことさえ記録にありません
もちろん失われた可能性もありますが
今のところ証拠がないので、そのような人物を
歴史の教科書に載せることにさえ疑問があります
これでは、教科書を見たほとんどの人が
まるで実際に生きていた人間だと誤解してしまう可能性があります
また救世主と呼ばれる存在は、過去に無数に存在しており
どれもイエスと同じ特徴があり、設定も同じです
いちばん可能性の高い答えは
さまざまな神話や伝記からコピーされた想像上の、いちばん最新の救世主
というのが、学問的な判断です
少し、話しはそれました
実在しないとなると、イエス以外の誰が考えた論理なのかは知りませんが
ここではイエスとしておきます
恐らくは政治的な理由により作られた論理だとは思いますが
矛盾がない事には変わりません
この矛盾の解決が
キリストの名前が2000年も残る本当の理由だと考えます
他には、仏教では2500年前に釈迦が
それよりも遥かに素晴らしい論理で矛盾を克服しています
誤解しないように書きますが
現在の日本の仏教は矛盾しかありません
釈迦が退けた「約束する」というカルトになっていると言えます
もちろんこれはキリスト教にも言えますが
少なくとも現存のカルトと呼ばれる宗教も、一般的にはそうでない宗教も
上記した、いづれかの矛盾を抱えています
どの教祖も矛盾がないとは言うと思いますが
仏教(本来の釈迦仏教)、キリスト教(イエスの論理に基づいた)が過去に矛盾を解決してきたという差が
大きな差だといえます
正しく釈迦とイエスを理解していない人間が
残念ながら、現在では、また矛盾を含んだカルトにしているということがほとんどではありますが…
これを読んだ方が、どんな宗教に入るかというのは自由です
なんの問題もありません
もちろん、どこにも入らないのも自由です
ですが、入るからには個人の経験談や体験だけで決めず
創始者の考えや、矛盾など、あらゆることを吟味し決定してください
それと1つ付け加えておきますが
これを読んで傷ついたり、ショックを受けてもどうしようもありません
意地悪で、困らせたいから言ってるわけではありません
ただ、学問に基づいた事実を言っているに過ぎません
もちろん絶対的な答えではありません
ですが過去に提出された証拠がいずれも偽物であったので
新たな証拠が発見されるまではこれが出来る限り公平な判断だと考えます