今年2022年は、手塚治虫先生の『火の鳥』本史と『人間ども集まれ!』が連載開始してから55年経ちますが、




手塚治虫先生の『火の鳥未来編』のエンディングの、火の鳥の想いである、
 

今度の人類こそ、
きっとどこかで間違いに気がついて……
生命を正しく使ってくれるようになるだろう…


は、『人間ども集まれ!完全版』が発売されてから20年以上経つ今読むと『火の鳥未来編』と同時期に連載されていた『人間ども集まれ!』の連載時の終盤の展開と結末こそが、その解答あるいは解答のヒントが描かれていたのだと私は想う。



『火の鳥未来編』のエンディング

『人間ども集まれ!』より

人権をないがしろにする浅ましさ・愚かさに対する怒りと、異種に対する優しさこそが、人間が惻隠の情を重んじる生き物へ進化する力であり、それを手塚治虫先生は重い想いであると考える、惻隠の重みを理解することを望み願い、『人間ども集まれ!』と『火の鳥未来編』で惻隠に関する数多の事が描かれました。



『人間ども集まれ!』より、
手塚治虫先生の人間に対する厳しさが伺える。



 手塚治虫先生は、人間に対し、

悲劇や悪夢を繰り返し続ける愚かな生き物のままで良いのか?

とマンガを通して我々に問いかけ続けて下さり、人間が惻隠の情を重んじる生き物へ進化することを願い続けています。





『人間ども集まれ!』と『火の鳥生命編』という「欲望の暴走」というテーマの組み合わせでだけなく、
『人間ども集まれ!』を、進化の方向性の『火の鳥未来編』や全体的にコミカルながらも深く重い『火の鳥ヤマト編』と組み合わせで読むのも良いと思いますし、
今では尾田栄一郎氏の『ONE PIECE(ワンピース)』の「太陽の神ニカ」について同時読みしながら考えるのも面白い。