今年の今日、9月2日はスクウェア・エニックスの『フロントミッション3』が発売されて21年経ち、去年は『フロントミッション3』のエマ編のあり得る先の未来を私なりに綴った二次創作小説を当ブログに投稿しましたが、今年は発売から26年経つ同じスクウェア・エニックスの『LIVEALIVE(ライブアライブ)』や、50年前に漫画専門誌「COM」で連載された手塚治虫先生の『火の鳥鳳凰編』と絡めて考えることを促す内容を語ることにします。









21年前の9月2日は優しさを感じた朝でしたが、今朝は少し雨が降り、良き曙(あけぼの)とは言い難い天気で、『フロントミッション3』の主人公である武村和輝と、もう一人の主人公と言える敵役でもあるエマ編のルカーヴ・ミナエフの二人が、今の地球と惻隠を軽んじる人間社会に対して耐えていた嘆きと怒りの涙が抑えきれずに溢れた雨のように感じました。



フロントミッション3設定資料集より、武村和輝








1.『フロントミッション3』も『火の鳥鳳凰編』も『LIVEALIVE』と同じ「怒りの魔王」と向き合う物語。


『ライブアライブ』の最終編ではオルステッドは他の各編の主人公たちに「誰しも魔王になりえることを忘れないで覚え続け伝え続けなくてはならない」という警鐘を告げます。


特に、『LIVEALIVE』の主人公のうち、田所晃(アキラ)とオルステッドを最終編で選んだ場合の「七つのオディオ達の像」の配置で中央に座すのは近未来編に登場した「隠呼大仏」であり、「田所晃がライブアライブの真の主人公」と言われることが多いだけでなく、田所晃とオルステッドは「怒り」という共通項が顕著であり、田所晃がオルステッドと向き合うことは自分自身の負の普遍性と向き合うことを考える想像力を私達も考えなくてはならないという事になります。


『フロントミッション3』でも、和輝とルカーヴの関係はアリサ編とエマ編では微妙な違いが在り、アリサ編では和輝とルカーヴの関係はルカーヴは和輝を怖れてしまったため分かり合えないで終わってしまいますが、エマ編ではルカーヴは和輝の優しさを知り、最初は素っ気ない態度が和輝の優しさこそが人間の社会に必要であると徐々に感じた結果、和輝を怖れることなく自分自身の負の普遍性と向き合うことができるようになり、最終決戦の段階でルカーヴは自分の非を少しでも認めることができてしまうのは、惻隠を渇望し続けることを自覚したからだと考えています。


エマ編での最終決戦でのルカーヴがスキルを持っていないのは、和輝の言葉とルカーヴに対する怒りだけでなく哀しみをルカーヴが感じ、自分の過ちに気付くことができたからだと解釈しています。


いずれにせよ、『火の鳥鳳凰編』の我王も「魔王」に一度はなってしまい、『ライブアライブ』のオルステッドや『フロントミッション3』のルカーヴ・ミナエフも魔王になってしまったのは、人間が差別や虐待ばかりし続ける無責任・無神経・無配慮という無自覚な罪が悲劇と悪夢と不幸をもたらし、苦痛を押し付けられた弱者をはじめとした他者の怒りや憎しみ、哀しみや苦しみを甘くみてしまった結果であることは否定できません。


「魔王」と向き合うことは「人間」が自分自身の負の普遍性と向き合うことであり、自分の過ちに気付くためには、誰しも魔王になりえることを忘れないで覚え続け、他者に対する惻隠を伝え続けなくてはならないという自覚を要します。





『火の鳥鳳凰編』での夢の中での小鳥に転生した茜丸と火の鳥の出会いの場面では、最終編でのオルステッドの発言での「獣」とは「誇りがあるケモノ」のことであり、惻隠を渇望し続けるオルステッドの怒りと嘆きをも感じます。




『火の鳥鳳凰編』終盤での、茜丸が言う「人間」とは「地球人」あるいは「ホモサピエンス」のことですが、この場面での火の鳥が語る「人間」とはフレミル人をはじめとした地球外の星の住民やムーピー達を含めているか、「地球人」すなわち「ホモサピエンス」のみのどちらかなのかが気掛かりですが、「山之辺マサトは茜丸の生まれ変わり説」があり、この説が意味するのは、『LIVEALIVE』のオルステッドとは異なり、転じて山之辺マサトはある意味では人間ではなくなるからなのかもしれません。



惻隠の情が大切な理由は、邪心に心が支配されいる状態だと自分の過ちに気付くことができないと何も救えず、苦痛を押し付けられ使い捨てにされた他者が「哀しみ」と「憎しみ」で「魔王」になってしまい兼ねないというのが『火の鳥鳳凰編』と『LIVEALIVE』と『フロントミッション3』の共通項であり、「魔王」と向き合うには惻隠と仁義礼智信を重んじ続ける優しさも必要であると私は断言できます。






2.隠呼大仏と『火の鳥鳳凰編』

「隠呼大仏」という手塚治虫先生の漫画『鳥人大系』にも登場しそうな雰囲気を持つ、見栄えのする仏像が登場する『ライブアライブ』の近未来編での液体人間は苦痛を押し付けられた民衆のメタファー(暗喩)であることは確実であり、宗教も政治も権力者の悪意で歪めてしまうものだと『LIVEALIVE』の「近未来編」と『火の鳥』「鳳凰編」の共通項であり、50年前に描かれた『火の鳥鳳凰編』が古くならないのは、奈良の大仏だけでなく『LIVEALIVE』の隠呼大仏の真実やオリンピックに拘る現代人にも当てはまります。




ブチの大仏に対する非難は傲慢な権力者に媚びる輩の思考停止という怠惰に対する怒りであり、『ライブアライブ』での無法松ことマツイケンイチの怒りは金と権力に惑わされる権力者に対する怒りでありのと重なりますし、無法松が田所晃の父親の命を奪ってしまったという過ちに気づき、田所晃たちに償う姿は我王と重なります。



田所晃が茜丸の過ちをしなくてすんだのは、シンデルマン博士達の愚挙を知り、無法松の償いが真心で『フロントミッション3』のエマ編のエンディングでの「自分の過ちに気付かない者には何も救えない」という武村和輝の発言を田所晃も悟ることができたからです。





田所晃とストレイボウの成長傾向は似ていますが、茜丸とストレイボウの道を歪めてしまった嫉妬心が恐ろしいものになってしまうのは、権力が遠因であり、権力は人間以外の生き物には無いからです。









仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
 
 
 
 
 
 
惻隠(そくいん)の心
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」
 
 
 
 
 
 
 
 
手塚治虫先生からの我々に対する戒め
 
基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない
戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない
特定の職業を虚仮にしてはならない
国民や社会的弱者を虚仮にしてはならない
作家は権力の側に立ってはならない