私が去年の今日綴った内容を読み返し、もしも手塚治虫先生の『人間ども集まれ!』の無性人間がコロナウイルスの代わりに、弱者をはじめとした他者に苦痛を押し付け使い捨てにされた者達の代表として戒めに来たとしたら…と考えながら今回の記事を綴りました。
今回はかなり厳しい辛口批評の雪崩ですので、辛口批評が嫌いな方は避けてください。
私はガンダムトライエイジ運営が何故マリーダ達プル姉妹に対して冷たいのかが理解できないし、恐ろしい。
マリーダ達プル姉妹は人気があり、生存して欲しいという嘆願もガンダムトライエイジ運営は知っているはずだから、マリーダ達プル姉妹を障害があるからという理由だけで差別し、コロナウイルス未満扱いする良識の無さは不快なだけである。
私が何故、手塚治虫先生や宮崎駿や藤子F不二雄や永井豪先生や村上もとか先生に対する敬意が深く重いのに対し、かわぐちかいじや福井晴敏や今の太田垣康男や冨樫義博や漫☆画太郎が嫌いなのかに関してとなります。
長らく考え、私と考え方が近いあるいは似ている他の方の意見を見渡すと、手塚治虫先生や宮崎駿や藤子F不二雄や永井豪先生にあるが、かわぐちかいじや太田垣康男や福井晴敏が欠如しているものは何か?が判明し、私が嫌いな作家や政治屋に欠落したものは何?と問われた際の返答は、刺激的な映像を求める、狂乱めいた大衆に対しておそろしいと想う危機感である。
かわぐちかいじや太田垣康男や福井晴敏の創作の最大の欠点は、苦痛を押し付けられ使い捨てにされた弱者の怒り・悲しみ・苦しみ・憎しみが無く、作品内での弱者の悲劇を省みない「殺人ショー」を見ている人々の存在の罪が全く問われていないという重大な欠落である。
たとえば、福井晴敏の『機動戦士ガンダムUC』は障碍者であるマリーダ達プル姉妹を人間扱いしない差別と虐待しか書かれておらず、子供をなくした親が子供のクローンを作りたいといった場合に対する回答と、マリーダのファンを無視しているから福井晴敏は障碍者をはじめとした弱者の人権問題に対する意識が欠如している。
福井晴敏の腐った心と矛盾の象徴は、福井晴敏は猫を保護するのに対し、障碍者を人間扱いしないからマリーダ達プル姉妹を差別して虐待する寄生虫。
太田垣康男も犬を溺愛するくせに障碍者をゴミ扱いするから福井晴敏の同類。
福井晴敏はプル姉妹が嫌いだから、日本人の邪悪さの象徴が福井晴敏だと断言できる。
エルピー・プルを切り刻んでマリーダ・クルスを作って戦わせる福井晴敏のクズぶりは植松聖並みであるうえに、リディ・マーセナスが償いをしないのは福井晴敏は安倍政権を甘やかすクズだからである。
福井晴敏は安倍晋三と同レベルのクズだから安倍晋三に対して同族嫌悪をし、かわぐちかいじは福井晴敏と手を組んだからかわぐちかいじも福井晴敏と同じクズであると断言できる。
政治屋は祝福されて生まれたという反面、マリーダ達プル姉妹をはじめとした障碍者や弱者を祝福しないというのは、明らかに手塚治虫先生が危惧した薄情な危険極まりない選民思想である。
猫を溺愛するくせにマリーダを虐待する福井晴敏というクズは今すぐコロナウイルスに感染して地獄に落ちろ。
マリーダを差別するクズは猫なんか飼うな。
最近の宇宙世紀ガンダムの二次創作小説は、プル姉妹が登場する作品はすべてプル姉妹をゴミとしか思っていない福井晴敏や太田垣康男の狂信者が作った作品しかなく、どれもこれもプル姉妹がゴミとして惨殺されるマンネリ鬱展開だから読む価値が微塵も無いため、福井晴敏と同じ障碍者を差別する人権侵害が好きな弱い者いじめしかできない右翼思想の腐敗臭がする。
はっきりいってプル姉妹を差別する奴らはプル姉妹と同じ目に遭ってほしい。
福井晴敏のおぞましさをさらに強調しているのは「ガンダムトライエイジ」でマリーダを省みない人々の存在である。
私と違い、ほとんどのGコマンダーはマリーダをいじめ用のおもちゃとしか思っていない人権侵害が好きなゴミクズだから。
彼らの罪が全く問われていないのだ。
マリーダの酷い扱いに対し今でも怒りが残っているのではっきり述べるが、
極端な言い方だが、「ガンダムトライエイジ」はもともとが金儲けを狙った「人間狩り」というゲームである。
当然、人が殺されるのを見て楽しむ「私たち」がいるのだ、厳然と。
これはけして見逃してはならない事実である。
何故かわぐちかいじや福井晴敏や太田垣康男はそのことに触れようとしないのか。
マリーダよりも罪深いのは、罪を犯していることにすら気づかない「私たち」ではないか。
手塚治虫先生ならば、それは罪ではない、と言うのだろうか。そんなはずはない。
より刺激的な映像を求める、狂乱めいた大衆に手塚は憤ろしい思いをしただろう。テレビや新聞の流す情報をただ盲信して追従する自分なき「私たち」の姿、そして大衆が求めるものを、という口実の元に視聴率に左右される歪んだゲームや小説・漫画の創作者やテレビ番組・製作者の姿、手塚の虚無主義は本人の自覚なしにいろいろな作品で描出されるが、「火の鳥」という「名作」を運命付けられた作品を描くこと自体が、苦痛になりつつあったのではないか、その自分の姿が「私たち」や番組製作者と重なることに対する激しい嫌悪。
少なくとも『火の鳥生命編』の単行本改変時の手塚はまじない師やジュネの祖母のキャラクターデザインの変更から読み取れるのは「虚無」であり、同時に福井晴敏やかわぐちかいじや太田垣康男や冨樫義博や漫☆画太郎のような恥知らずで無責任・無神経・無配慮な人間に対する「虚無」である。
『火の鳥生命編』ではクローン人間・青居は後に木っ端微塵に殺され、撃った人の「人を撃ったようで気持ち悪い」という言葉に「これは本物の人間ではないから」とある男が言う、人間とはなんだろうか。手塚の真摯な疑問であり、福井晴敏はマリーダ達プル姉妹を差別するからこの疑問に答えようとしないどころか考える誇りすら無い。
手塚が全編中もっとも強烈なメッセージを焼き付けた「火の鳥生命編」の主題・「人間」の定義は今、死の感情が希薄になりながら、コロナウイルスや自分自身の死をおそれることを棚に上げ、他者の不幸と悲劇と悪夢と死を求め押し付け使い捨てる世界が重なるようになってしまった。
『機動戦士ガンダムUC』劇中で描かれる「マリーダいじめ」は容赦なく、マリーダ達プル姉妹たちは福井晴敏のエゴと偏見と差別のせいで、呪われて生まれたというあまりにくだらなすぎる理由で殺されるために存在している。マリーダ達プル姉妹やアンジェロやジンネマンに人道主義が『機動戦士ガンダムUC』内に挟まれず、バナージやジンネマンやミネバがマリーダを救うのは無意味だという福井晴敏の想像力の欠落と、徹底的な選民思想・完璧主義・全体主義の醜悪な独裁政権の表われだ。
現実にクローン人間が作られたとして、「彼ら」は人間として扱われるだろうか、そもそも「人間として扱う」とはなんだろうか、考えれば考えるほどに闇は深まるばかりで一寸の光明も見出せない。
福井晴敏や太田垣康男のような障碍者を差別して虐待する政治屋に媚びることしか頭にない無能作家や、安倍晋三や安倍政権やトランプやプーチンのような日本の右翼政治屋と日本周辺の政治屋どもは、今すぐ全員コロナウイルスに感染して今すぐあの世で障碍者をはじめとした社会的弱者に詫び続ける場所である地獄に落ちてほしいと思ってしまうくらい存在する価値が無い、コロナウイルス未満の邪魔物です。
沖縄の民意を無視する安倍晋三と米軍と安倍政権と、福島から避難した人々を差別しカジノを作って堕落と破滅への道へと暴走する林文子や、福井晴敏や太田垣康男のような障碍者を差別しゴミ扱いする奴らは生きていてもなんの役に立たない。
…少なくとも、福井晴敏が火の鳥からの罰として、マリーダ達プル姉妹や『火の鳥生命編』の青居邦彦の代わりに、『ガンダムトライエイジ』の「黒獅子、再び」や『火の鳥生命編』で「クローンマンハント」で酷い非道い目に遭ってしまえば良いのに、と思ってしまうほど一寸の光明も見出せない惨状である。