今回の投稿は、去年の”六三四の剣の日”で綴ったことの再掲載と振り返りと追記となります。
今回の投稿は、夏木六三四が『六三四の剣』本編で生まれた6月3日16時に公開する設定にしてあります。
『六三四の剣』と私が剣道で体験した事や、仁義礼智信が失われていく今の世の中を憂いつつ、惻隠の心や仁義礼智信を維持し続け失ってはならないという想いを込めて綴った内容です。
1.「突き」について
『六三四の剣』では「突き」は強大な力を持つ、という描写が多く、盛田賢司氏の『しっぷうどとう』でも同様の描写や似た展開もいくつか描写されている点からも安易に多用すべきではないという忠告が込められている要素が強く、第1巻で描かれた「佳代の怪我の跡」に関して、私にとっては他人事ではない、という少し苦い経験があります。
高校時代の夏の稽古で大学生の方との剣道稽古をした際、私自身は高校入学後に本格的に剣道を開始したため、初段に昇段していなかったので、「突き」は安易に使うべきではない強さでしたが、大学生の方が突きを繰り出してきて面から外れてしまい、私の喉元に当たってしまいました。
幸い私自身は、相手の方が私が未熟だという判断をしたのが救いで、佳代ほどの怪我にはならずに済み、今でも剣道をし続けることができるとはいえ、私が突きを行う際は可能な限り相手が中段以外の構えの際に「胸突き」をする、という制約を課すことにしていますが、惻隠の心や仁義礼智信を維持し続け、他者を顧み、自ら戒めなくてはならないとはいえ、「胸突き」なら積極的に使いたい、という衝動がある自分自身の心の弱さは否定できないという矛盾を抱えています。
2.技に長けた、六三四のライバル2人 東堂修羅と乾俊一
『六三四の剣』本編では仲が良くない修羅と乾でしたが、その後の未来では彼らは和解できる可能性を示唆しているので綴ることにしました。
以前当ブログで、乾は日高に対して不利なのは、「日高剣介の瞬間的な攻撃力と素早さで突破される」と述べましたが、修羅と二刀流習得後の乾が対戦した場合、どちらが勝つかに関して、私は五分五分だと思います。
乾が有利な点としては、乾は修羅の剣道スタイルに関してかなり知っている上にさらに伸びることも示唆されていますが、修羅は通常の二刀はともかく、逆二刀に関しては六三四よりも後に知ったという点もあり、修羅が乾に対して圧勝するのは難しいということだけは否定できません。
いずれにせよ、嵐子に助けられ、万全な状態ではなかったとはいえ、乾と日高、そして修羅に勝つことができた事は、六三四は青春編では万能型の剣士になった証なのかもしれません。
3.乾俊一・負の普遍性と自分の過ちに気付くことができる誇りを得る者
私も六三四が好きですが、修羅や乾のような弱さも心に持っていますので、修羅や乾の心の強さと良心も学び続けなくてはならない、と『六三四の剣』を通して村上もとか先生が描いたことを忘れてはならないし、乾俊一からは「自分自身の負の普遍性」と向き合うことの大切さと難しさを伝えている、と私には読み返しながら感じ取ることができました。
主に六三四と修羅と乾の三名を通して村上もとか先生は『真の強さとは何か』を我々に問題提起して下さったから、『六三四の剣』は名作であると語り継がれていますし、自由とは「自らを由となす」であると同時に「真の自由」とは、惻隠の心や仁義礼智信が必要で弱者を護り育む優しさの事で、『六三四の剣』の乾俊一の物語は真の優しさを精進するという主題だと気付くことになります。
今日の夏木六三四・其の3
『六三四の剣』最終回掲載号の「週刊少年サンデー」の表紙
六三四の首の右側に怪我の痕が見えますが、身体を動かせる段階まで少し回復し、面と小手と竹刀を持っているという設定のイラストで、六三四の強さと美しさが顕れており、六三四の剣道防具が六三四の美しさを更に高めています。
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
惻隠(そくいん)の情:
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」