昨日は夏木六三四を想うだけでなく、彼の剣道防具の真の美しさは、六三四の命と身体を、打たれて傷つけられても護り続ける大鎧の如し美しさにある、と考えていました。
私の年齢では岩手県北上市にて春に開催される「六三四の剣杯」には選手として参加できないものの来年は開催されること、早ければ今年の終わりごろに開催されることを願いながら、今回は20時に「百秀武道具店のウガ店長の素振り会」に参加後、綴っています。
夏木六三四・剣道防具着装時
剣道防具に護られている六三四の表情が美しい。同時に、六三四の優しさが剣道防具を大鎧のように美しくしています。
六三四にとって剣道防具は、自らの必死の闘志を高める鎧兜であると同時に栄一郎と佳代の代わりに自らを護る鎧兜でもある、と古沢兵衛との稽古の場面ではそう感じ取れました。
私の剣道防具が好きな理由は、重量に身体と心が耐える事で、マクシミリアン式甲冑や大鎧を着装した時と同じく剣道防具を着装すると安心感を得ることができ、心が落ち着くからです。
私も夏木六三四に対する敬意がありますし、『フロントミッション3』の武村和輝が持つ優しさと美しさは、夏木六三四と共通している理由の一つとして甲冑がらみで挙げられるのは、武村和輝にとってゼニスRVや112式法春は、剣道防具や大鎧だからこそ、『フロントミッション3』ではヴァンツアーを最後まで頼れるようになっているのかもしれません。
去年の私は、『六三四の剣』にて古沢兵衛は、米軍の剣道に対する無理解と偏見や、権力者のせいで再び剣道ができない惨状をどう思っていたのか、乾俊一に対して何を願ったのかを、「古沢兵衛の剣は闇に向いてはいても、邪ではない」と理解した上で、古沢兵衛へは今の世界を見たら何を思うのだろうか?と考えていました。
東堂国彦と同じく「剣鬼」と言われた古沢兵衛ですが、「惻隠の心」と「仁義礼智信」を持っているからこそ誇りがあり、古沢兵衛曰く乾俊一は自分と似ている、また東堂国彦と乾俊一の近い性質について考えているうちに、「東堂国彦と古沢兵衛の2人の共通点とは何なのか」を考えるのも去年以上に大切だと思っています。
村上もとか氏の父親が剣道家でもありますので、米軍の剣道に対する無理解と偏見や、悲劇を引き起こした権力者のせいで再び剣道ができない惨状に追い込まれた期間を知ってしまったあとでは、古沢兵衛の言葉の重みがさらに重くなります。
其れゆえに、村上もとか氏の漫画にも手塚治虫先生と同じ、
基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない
戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない
特定の職業を虚仮にしてはならない
国民や社会的弱者を虚仮にしてはならない
作家は権力の側に立ってはならない
上記の手塚治虫先生の戒めが込められており、村上もとか先生や高橋和希先生や島袋光年氏や永井豪先生や宮崎駿氏にも受け継がれていることは確信できます。
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
惻隠(そくいん)の情:
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」
剣道では「北海道剣道ヱン会素振り会」と「百秀武道具店のウガ店長の素振り会」の両方に参加しており、火曜金曜以外は朝7時の「百秀武道具店のウガ店長の素振り会」に参加できるよう努めています。

