今回の内容は、ゲゲゲの鬼太郎と地獄先生ぬ~べ~と女神転生関係の話となります。





今週の『ゲゲゲの鬼太郎』6期の97話「第二次妖怪大戦争」に関し、奇しくも「地獄先生ぬ~べ~」にぬらりひょんが登場して25年経過したことを思い出し、鬼太郎6期の「ゲゲゲの森」の設定は『真・女神転生ストレンジジャーニー』のシュバルツバースを、人間社会を風刺する重い展開はぬらりひょんと同時期に登場した葉月いずなが主人公である『霊媒師いずな』を踏まえて描かれていることを考えながら綴っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ぬらりひょんとバックベアード絡みでは、ワインの名前が水木しげる先生の名前の捩りである上に、特定の妖怪に効く毒という設定には『真女神転生Ⅳファイナル』の悪魔たちの設定を踏まえており、鬼太郎の世界は水木しげる先生を鬼太郎世界を広げたある意味では至高神であり、至高神の名を捩った名を持つワインの中の毒とは、神の毒(サマエル)であり、それを持つぬらりひょんは「神の悪意」という暗喩であり、『真女神転生imagine』のシナガワ神殿騎士廟のサマエルと『霊媒師いずな』にも登場するビャッコを連想しました(西洋妖怪に効く毒といえど、流石に『真女神転生ストレンジジャーニー』のエクストラミッションにも登場する酒の神である、ギリシャ神話のディオニュソスには無効化されると思いますが)
 
 

ルゲシ・ド・ズミーキ
「1922」とは、鬼太郎世界を広げた水木しげる先生が生まれた年であり、深読みできて好きです。
確か25年前に『地獄先生ぬ~べ~』にぬらりひょんが初登場した時も、細川美樹の家で寿司を食べながら酒も飲んでいました。
 





 めがねぺん(@megane_pen)さんがツイートしました: ルゲシ・ド・ズミーキ = 水木しげる1922年もの = 水木しげるの生誕年もうちょっとで100年 = もうすぐ生誕100周年と、水木しげる先生の生誕100周年が2年後に迫っていることを告知する西洋悪魔たち。#ゲゲゲの鬼太郎 https://t.co/a064WB48E8 https://twitter.com/megane_pen/status/1241524869654704128?s=20
 



 
トリックスターであるねずみ男と『鬼太郎6期』のぬらりひょんの関係も、『地獄先生ぬ~べ~』のトリックスターである細川美樹とぬらりひょんの関係を知っていると、ニャルラトホテプの如く「神であることに拘りすぎた墜ちた神」アラハバキと同じ「神であることに拘るが問いかける客人神」という対比となっており、見方によっては今回の終盤のバックベアードの逆襲はぬらりひょんにとって『真・女神転生ストレンジジャーニー』のメムアレフの掲げる「妖怪・悪魔の復権」の手段を間違えてしまい、バックベアードという「大目玉を食らう」のも、傲慢の罪に対する罰と解釈もできます。
 
 

渋谷に妖怪が大勢いますので、フォルネウスを待っているデカラビアがいる『真・女神転生Ⅲ』を彷彿とさせます。
 
 
 

怒り狂うバックベアードは恐ろしくも考えさせられたのは、『魔神転生Ⅱ』ではバックベアードは「ルイナーフレイム」という火炎属性スキルを習得できますし、『魔神転生Ⅱ』のLaw-Darkのエンディングの展開を思い出してしまいますし、仲魔を食らう展開も五代ゆう原作の『アバタールチューナー』を連想し、鬼太郎6期のぬらりひょんのような、弱者の民意を無視し、邪な秩序を罷り通らせる権力者や政治屋どもには何も救えないということを語る展開だからなのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
『ゲゲゲの鬼太郎6期』という新たな奇妙な旅も次回で最終回なのは寂しくなりますが、見えてる世界が全てじゃない、見えないものもいるとは『真女神転生ストレンジジャーニー』の最序盤のスライム戦や、『地獄先生ぬ~べ~』のアニメ版のエンディングテーマ曲でも示唆されていることは忘れてはならないことです。
 



『アバタールチューナー』の「悪魔化ウイルス」とは、ある意味「見えてる世界が全てじゃない、見えないものもいる」存在同士を組み合わせ存在であり、問題提起を考えることを促す言葉なのですから。
 
 
 
 
 
 
 
 
先週のゲゲゲの鬼太郎6期95話での朱の盆は肉弾戦に長けた妖怪で怪力があるという設定がありますが、『偽典・女神転生』では仲魔も弓矢だけでなく銃を装備できるというのを思い出させてくれます。
 

 
 
 
 
 私は『真・女神転生IMAGINE』のサービス終了後、リバ剣した剣道家ですので、水木しげる先生と手塚治虫先生の想いを忘れてず生きていくためにも、惻隠の情や仁義礼智信を抱き、考え続けなくてはならない存在であると自覚しています。。