手塚治虫の『アラバスター』。
この作品はリブログした内容であり続けているのは、何度読み返しても、何度思い出しても、厳しい描写が多く、暗い話であり悲しい話でもあり、主人公とヒロインと関わる人々もまた善であってもつらい思いをする物語で、手塚治虫先生が好きではないと公言したほどで「作品の主題となるのは怒りや憎しみの心、負の感情に満ちた愛」と紹介されることもあり万人向けの話ではありませんが、同時に多くの事を考えさせられる物語でもあり、本当の美しさには「惻隠の心」と「仁義礼智信」が必要である、と真のヒューマニストとして、秘めた怒りを解き放つという形で手塚治虫先生が訴えているからです。
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
惻隠(そくいん)の情:
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」
序盤の終わり近くで亜美に対して「花は美しくない」「空も美しくない」と語る場面でのアラバスターことジェームズ・ブロックは、彼のすさんだ心を表現していて悲しくもありますが、亜美もアラバスターも、植物に対してはあまり攻撃的ではないですし、ここでの描写を見る限りでは「人間よりも動物や植物の方が神に近い」ことを示唆し、「人間は万物の霊長ではない」と戒めていると私が感じたのは、手塚治虫先生は差別・虐待は絶対悪だと訴えているからです。
『アラバスター』のロックはナルシストという設定だけならまだ私も我慢できましたが、彼こそがこの漫画で一番権力に執着した邪な人物として描かれており、私は『ロック冒険記』や『新世界ルルー』のロックが好きですし、『バンパイヤ』やこの『アラバスター』のロックとは相性が悪く、『ロック冒険記』のロック・ディモンは「惻隠の心」と「仁義礼智信」を持っているからこそ心が強く、「ディモン」という苗字は「鬼神や守護神・守護霊」を暗喩している、と痛感させられる描かれ方になっていますし、同時に、亜美もアラバスターもゲンも完全な被害者とは言い切れない一方、人間の負の一面によって引き起こされた出来事が描写されており、真正の悪だと言い切ることもまたできない立ち位置で、ゲンは亜美を巻き込んだ責任を痛感するようになり、人間は心の弱い「羊」であることは否めないが、他者に対して冷たい「饕餮(トウテツ)」になってはならない、という手塚治虫の想いと問題提起が込められています。
ロックの愚挙のせいで、亜美がアラバスターと共に心を暴走させ、グローリア・スワンという女優を襲撃する展開は、亜美もアラバスターも良くも悪くも誠実に「本当の美しさ」を探し求め「惻隠の心」と「仁義礼智信」を得たいと願っているからこそ見ていて一番辛い展開で、グローリア・スワンの立ち位置を大場つぐみ・小畑健の『DEATH NOTE』で例えると、レイ・ペンバーと南空ナオミに相当する、人間の邪念が齎した理不尽で悲惨な鬱展開としか言いようが在りません(終盤でロックの顔がひょっとこみたいになるのは自業自得ですが、亜美もロックの顔にF光線を照射して一矢報いて欲しかったという方も多いと思われます)。
『アラバスター』は時折、手塚治虫の他の漫画とクロスオーバーさせたくもなる物語でもあります。
もし「虚飾と向き合う物語」でもある『地球を呑む』に登場した「デルモイドZ」があれば、亜美もアラバスターも少しでも救われたのだろうか?と夢想したりもしますし、『アラバスター』の結末と比べて『人間ども集まれ!』の単行本での通常エンディングの方がハッピーエンドなのでは?と想うことも多々あり、現実世界での権力や金や名声に執着し、民意や社会的弱者を顧みず他者や自然環境に苦痛を押し付け使い捨てにするような政治屋や、障害を持っている人々を顧みず権力を欲しがる作家は、F光線を照射されても致し方のないのでは?、という重さが今でも心にのしかかってきます(アラバスターの心の暴走は、『地球を呑む』の祖のゼフィルスの遺言が我々への戒めであり、『人間ども集まれ!』の連載時の結末での天下太平は良い意味で「王の中の王」と言うことができる説得力を高めている反面教師です)。
福井晴敏って「自称・手塚治虫の孫弟子」なのに、マリーダ達プル姉妹をゴミ扱いする醜態がおぞましいです。
沖縄の民意を無視する安倍晋三と悪い意味でそっくりで、安倍晋三に媚びる安倍政権と福井晴敏に媚びるガンダムトライエイジ運営には弱者に対する敬意が無い陰湿な愚衆です。
沖縄の民意を無視する安倍晋三もマリーダを惨殺したリディ・マーセナスも菅義偉やバナージに甘やかされていておぞましいので、『アラバスター』のロックと同じように嫌われて当然です。
沖縄の民意を無視する安倍晋三は、あの世で弱者を顧みた橋本龍太郎に詫び続けよ
「意味の無い質問だよ」発言をした時の安倍晋三の邪心(邪神)を心の鏡で映した姿



