私が剣道家になったのは、
高校生時代は鎧兜を装着して戦う侍への幼い憧れから、
防具を着装して闘うことを望んだただの「剣士」でしたが、
私が「剣士」から「剣道家」へと変化し始めたのは、
1999年にスクウェア・エニックスの『フロントミッション3』というゲームにて武村和輝と「出会い」、
手塚治虫先生の『人間ども集まれ!』の完全版のことを知ることができたものの、
21世紀にはいっても、
平和になるどころか悲劇や悪夢を繰り返し、
弱者を平然と軽んじ苦痛を押し付け使い捨てにする、
傲慢で怠惰で卑劣で残虐で冷酷な偽りの強さに負けた愚者どもは何も学ばないことが罷り通り、
私はいじめや差別をなくす努力をできない世界に対して嘆き、悲しみ、怒り、
鳥や虫のように空を自力で飛べず、
魚や貝のように水中でも生き続けることもできず、
植物や菌類のような細胞の全能性も殆ど無く、
心も未熟で思い上がっていることを知ってしまい、
人間は万物の霊長ではない
と悟り、
永井豪先生の『新魔王ダンテ(通称・リメイク版魔王ダンテ)』では
スクウェア・エニックスの『ライブアライブ』の物語の物語やテーマを知り、
「惻隠の情」と「仁義礼智信」を重んじ続けることができる、
心の強さを得るための心の進化が必要だと感じたからです。
故に、『フロントミッション3』の「自分の過ちに気付かぬものには、何も救うことはできない」と
『ライブアライブ』のエンディングでの「誰しも魔王となりうる」という警告は、
『人間ども集まれ!』を描いた手塚治虫先生からの警鐘でもあり、
良い意味で「人間であることをやめない(田所晃)」で、
「自分がされて嫌なことを他者にしてはならない(サモ・ハッカ)」
を重んじなくてはならないという、
「惻隠の情」と「仁義礼智信」を重要視した結論だと思います。
仁義礼智信
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
惻隠の情(惻隠の情)
弱者、敗者、虐げられたものへの思いやりと共感、
「他者を思いやる心」
『フロントミッション3』の武村和輝の闘い方の主体が格闘で、
他の方の動画ではハンドロッド装備をよく見かけるのも、
和輝も『ライブアライブ』のオルステッドと同じように、
剣士として見ても違和感がないのかもしれません。
