今回は仕事が土日にも入ってしまっている生涯剣道を目指している、大鎧やマクシミリアン式甲冑が好きで剣道防具を着装していると心が落ち着く、村上もとか先生の『六三四の剣』やスクウェア・エニックスの『フロントミッション3』が好きな剣道家の些細な雑談です。

 

 

 

 

 

「生涯剣道」を行いたいと願う多くの剣道家が抱える悩みではありますが、剣道をしたいが剣道ができないときは、剣道をできる場所を探し、剣道ができる時間を見つける、というのが大人の剣道家の理念ですが、居住している場所が他者との共同生活をしている私にとって、夜の外出制限と夕食の時間の縛りがすごいつらく、早めに1人暮らしをしたいと思いながら今綴っています。

 

 

 

生涯剣道をしていくうえで、私の場合はリバ剣である上に「剣道ができる状況を改善したいという、憂鬱」、「剣道稽古ができる時間を確保できて強くなれる剣士への嫉妬」、「弱い自分自身に対する憤怒」と向きわわねばならず、剣道が好きですが剣道をする状況としては良いとはいえないジレンマを抱えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからは剣道家として、より厳しい話をします。

人間は万物の霊長ではないという戒めを込めますから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今の世の中、金や権力に執着し、虐待や差別をまかり通らせるように成り果ててしまい、沖縄や福島の民草を愛し続け、アメリカ軍の日本人に対する差別意識を嫌悪した剣道家でもある橋本龍太郎氏の偉大さが理解できることが多くなり、沖縄の民意を無視し辺野古の生き物を虐殺し、広島と長崎に核兵器を投下したアメリカに対する義憤を持たない安倍晋三や安倍政権や自民党を支持し自民党に投票するような輩には桜は似合いません。

 

 

 

 

 

 

桜というのは本来の花言葉は「精神美」であり「惻隠の情」や「仁義礼智信」を尊び「克己忍耐」について考え自分自身の心の弱さと向き合い弱者への敬意を心に育むことであるのに対し、「桜花」というのは他者に苦痛を押し付けゴミのように使い捨てにするという人権侵害という意味であり、「精神美」とは対極の意味であり、安倍晋三や安倍政権の考えている桜とは「桜花」という意味しかなく、金と権力と差別と虐待、沖縄の民意を無視する剣道の理念とは相容れない冷酷さそのものだと感じます。

 

 

 

「桜」と「桜花」ではあまりに印象が違うことには留意せねばなりません。