昨日の就寝前に五代ゆう殿の小説『クォンタムデビルサーガ・アバタールチューナー』(全5巻、早川書房)を再読。
サーフ達の想いや周囲の人々の行動や反応などから、「人間の負の普遍性」や「人間の存在価値への疑問」、この物語に登場する「神」といわれる存在やシン・ミナセは『真・女神転生Ⅲ』に登場した「ムスビのコトワリ」に関する問題提起であり、『デビルサマナーソウルハッカーズ』の「シジマのコトワリ」を願う者のネット社会への憂い同様、何度読んでも考えさせられます。
私にとって『女神転生』シリーズは、自分と他者の関係について考える物語であり、悪魔合体が無い新女神転生『デジタルデビルサーガ・アバタールチューナー』と『ストレンジジャーニー』の重さは、「弱者に対する敬意を持ち、克己忍耐の想いを持って弱者と接し心を育むことの重要性」を語っているからであると私は感じました。
原案小説『アバタールチューナー』は印象に残る場面は多いですが、「アルダー」の姿や展開に関してはゲーム版と対照的になっていますので、どこがどう違うのかを考える事や、弱者に苦痛を押し付けて切り捨てて幸せになろうとすることのお愚かさや醜さが描かれており、リメイク版『ストレンジジャーニー』である『ディープストレンジジャーニー』に通じる読み比べができる事で、マルゴ・キュビィエの思想や結末の違いをはじめとして、読みながら考え続け他者を真剣に考える心の強さを養う点では、ゲーム版が販売されて15年以上たった今でも色褪せず、読む価値が極めて高いと思います。
少なくとも『アバタールチューナー』は、福井晴敏の『機動戦士ガンダムUC』や太田垣康男の『機動戦士ガンダムサンダーボルト』のような、「障害を持っている人とは分かり合えない、分かり合う価値が無いから何をやってもいい」と悪意だけで障害を持っている人々に接し、障害を持っている人々を使い捨てにするマンネリを止めようとせず生きたまま焼いて命を奪う場面を何度も見世物にし、障害を持っていても懸命に生きている人々に対して陰湿で残虐で冷酷で卑劣な仕打ちのマンネリで、『ガンダムトライエイジ』をはじめとした浅ましい金儲けの悪循環にはまっている駄作とは違います。
いずれにせよ、我々人間の世界は本当に楽園といえるのかと問い続ける点は『アバタールチューナー』も『フロントミッション3』も同じであると感じることが多い状況です。