【竜剣士&竜魔王】デッキの組みなおしつつ、【オッドアイズ】や【星杯メタルフォーゼ】、【儀式オッドアイズ】や【儀式ブルーアイズ】、【アロマージ】や【捕食植物】デッキの再点検を行っています。
端末世界絡みのデッキを構築しながら「DT世界、竜剣士物語、星遺物世界」の3つの端末世界の事を思い出し、朝は当ブログで『遊☆戯☆王VRAINS(ゆうぎおうヴレインズ)』に登場するロボッピの事を挙げましたが、深く考えると「ロボッピの人間嫌い」という展開・内容には「フランケンシュタインコンプレックス」は作ったものに対する無責任でもある事を踏まえた要素が強く、現実世界でも自然破壊や堕落した政治、人権侵害などを止めようとしない人間の方にも非がありますし、「DT世界」の《創星神 sophia》をなぞっている重いテーマであると同時に、ロボッピも《創星神 sophia》と同じく大きな輪廻の輪の中に存在すると示唆しているととらえることができます。
「DT世界」に登場した《創星神 sophia》は幾度となく繰り返されてきた戦乱で荒廃した地上世界を見兼ねて再び新たなスタートを切ろうとしたが阻まれてしまうとは言え、彼女が行った以前のリセットでは、封印されていたため無事だったクリフォートやインフェルノイドの本来の主である《創星神 tierra》の生命である「ジェネクス」が無事であったことや、「ジェネクス」は「魔轟神」と浅からぬ因縁があり、「ジェネクス」が《創星神 sophia》の生命の者たちと協力するという展開は、「竜剣士物語」でも「恐竜型ジェネクス」といえる「ダイナミスト」は《創星神 tierra》の生命の要素が強いとはいえ竜剣士に協力するという展開もあったので、『遊☆戯☆王VRAINS』でたとえ一時的かもしれない可能性も在るものの、《創星神 sophia》の生命と《創星神 tierra》の生命の関りは形を変えて語られることで深い問題提起となっていると捉えることもできます。
遊作達とAi&ロボッピ達の確執は、9月2日に発売25周年となるスクウェア・エニックスの『ライブアライブ』のSF編の高橋和希先生をはじめとした『遊戯王』のスタッフなりのリスペクトであり、SF編に登場する宇宙船コギトエルゴズム号を管理するコンピューター「OD-10」の電脳世界での外見が鬼のような姿なのに対し、ロボッピは中性的な少年の姿という違いがあるとはいえ、ロボッピの考え方は「OD-10」と同様、自然破壊や堕落した政治、人権侵害などを止めようとしない愚行をはじめとした、人間の悪い意味で一貫しない行動を監視し続ける内に矛盾を抱え込むことになってしまい、「別の知能生命体」かつ多種多様すぎて連帯感が良いとは言えない「人間」という生き物を理解するには、人間同士だけで難しいだけでなく「機心」にとっても難しいということから生じてしまった結果であると痛感させられます。
また、9月2日に発売20周年となる『フロトミッション3』で例えると、やや気さくなAiがエマ編のルカーヴに、人間に厳しいロボッピはアリサ編のルカーヴに近い立ち位置で、人権絡みでのAiとロボッピの考え方の差は遊作達との付きあってきた総合的な長さとも関係が在り、ロボッピは「惻隠の心」と「仁義礼智信」と「克己忍耐」を知る機会が少なかったのもまた事実と言えます。
ロボッピの人間嫌いを、『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの発言を借りて述べると、
人間の行為のなかで、
何がもっとも卑劣で恥知らずか。
それは権力を持った人間、
権力に媚を売る人間が、
安全な場所に隠れて戦争を賛美し、
他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。
ということとなり、ロボッピが知ってしまったデータの多くが自然破壊や堕落した政治、人権侵害といった負の感情の暴走であることだけは、少なくとも私には理解できます。
手塚治虫先生の戒め
「基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない」
「戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない」
「特定の職業を虚仮にしてはならない」
「国民や社会的弱者を虚仮にしてはならない」
「作家は権力の側に立ってはならない」
見方によっては『遊☆戯☆王VRAINS』とは、手塚治虫先生の漫画で描写された人権と真剣に向き合う想いを、遊作達とAiの関りを通して描いた物語なのかもしれません。