人間は自業自得だったのよ

そりゃそうだが…


引用:手塚治虫『人間ども集まれ!』、発言者:天下未来と天下太平






あえて描き方を簡略化し、できるかぎりコミカルに重いテーマの漫画も描けた手塚治虫先生は偉大だと思う。

冒頭の発言は『人間ども集まれ!』の単行本での通常エンディングでの発言ですが、手塚治虫先生の中期の『人間ども集まれ!』が名作と言われるのか?と問われると私はこう答えています。


・デフォルメされたイラストと時折挿入されるコミカルな場面によって暗さが緩和され、重いテーマを読者が考えるのに支障をきたさないよう配慮されている

・「人間の負の普遍性」と「人間の存在価値への疑問」という問題提起が全2巻でまとまっている。

・手塚治虫の願いも込められており、人間に対する諦観もあるが、今では「完全版」で収録されている連載時の結末は異なるからこそ読み比べることで見えてくる物事が在る。

の以上3点です。






『人間ども集まれ!』の2つの結末の知名度の高さはここで語るまでもありませんし、文庫版の刊行が1995年2月10日で、それから2週間後にスクウェア(スクウェア・エニックス)から『フロントミッション1ST』が発売され、『人間ども集まれ!完全版』の刊行が1999年1月という点も私にとってはいまだに忘れることができませんが、「人間の負の普遍性」を問題提起しつつわれた者、そして呪われて生まれた者にも、祝福を」という展開の『人間ども集まれ!完全版』で再録された連載時の結末は、「この結末に、私は出会えてよかった」と心から喜ぶことができ、手塚治虫先生の願いの1つは「人間が心の進化をすることを願っている」ことであり、通常エンディングでの「突き放し」は「心の進化をしないと取り返しがつかないことになる」と強調することで、本来、主人公・天下太平の子供たちである未来達無性人間は「人間が進化した存在」で「学ぶことができ、自分の過ちに気付けるから、救うことができる」という設定で、スクウェア・エニックスの『ライブアライブ』や『フロントミッション3』と同じ複数の結末を比べ、数多を考察することもできます。



また、「人間よりも、人間が進化した生き物の方が平和や愛を尊いと思っているのでは?」という点は「フロントミッションシリーズ最高傑作」と言われることも少なくない『フロントミッション3』と共通し、私には『フロントミッション3』のエマ編が「設定資料集」では「本筋」となっているのは主人公・武村和輝が「呪われた者・呪われて生まれた者を祝福できるようになる」覚醒・結末は『人間ども集まれ!』の天下太平・未来の父子と重なる要素が強く、「惻隠の心」と「」を尊ぶ思想を込められ、想像力を問うと同時に世を真剣に憂う重みを与えられ「手塚治虫に捧げる物語」として、手塚治虫への敬意と「悪い意味で歴史を繰り返す、何も学ばない我々への警鐘」に満ち溢れている重さを語っているからだと思います。

(『人間ども集まれ!』連載時の最終部には「Sの警告」という題が付けられていましたが、『ライブアライブ』最終編ではラスボスに止めを刺さない選択をした後、最終的に「Oの警告」がエンディング前にあるのも、時田貴司氏なりの手塚治虫先生と『人間ども集まれ!』への敬意だと思います)



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※『人間ども集まれ!完全版』より。「生きているのにシンデルマン」な男・大伴黒主と一気に老化したリーチ









私と『機動戦士ガンダムUC』の福井晴敏や「改憲がー改憲がー」と目立つ事ばかりしか頭に無く、核兵器投下したアメリカに媚びる恥知らずの金と権力の亡者・安倍晋三、安倍政権や安倍政権支持者との相性が悪いのは、彼等には「われた者、そして呪われて生まれた者にも、祝福を」が無いから、「呪われて生まれた」マリーダ達プル姉妹に対する愛も慈悲も無く、マリーダのファンに謝罪しない福井晴敏の態度と「日本本土から祝福されていない」沖縄に住む人々の沖縄の民意を無視し辺野古を汚す安倍政権&安倍政権の態度が「弱者に苦痛を押し付け弱者の嘆願を無視し弱者を使い捨てにする」という「無責任・無神経・無配慮」な悪い意味での共通点を感じ、『人間ども集まれ!』の「無性人間」に対して冷たいむさくるしい髭の「大伴黒主」とかいう死ぬ前にやっと過ちに気付けた「何も救えない者」と重なり、『ライブアライブ』の「近未来編」でのシンデルマン博士やヤマザキ総帥、雲龍の「液体人間」と絡む者の行く末とも重なってしまうからです。






私は30年前に『火の鳥・ヤマト編』を初読し、ヤマト・オグナの心の強さの美しさに魅かれ、「呪われた者・呪われて生まれた者にも祝福すること」が大事であり、『火の鳥・鳳凰編』でも我王からは生きることの難しさを感じ取り、手塚治虫先生の心の強さとはわれた者、そして呪われて生まれた者にも祝福できるから、全体主義、独裁制、絶対権力者への嫌悪と戦争否定から生まれるアイロニーをSF的世界において描く執念も執筆原理となって生涯漫画を描き続ることができたのかもしれませんし、「生涯剣道」できるよう生きたい私も、手塚治虫先生の想いを考え続けて生きることを忘れないよう努めていかなくてはなりませんね。

無論、『新魔王ダンテ』の永井豪先生や『遊戯王』の高橋和希先生、『アンパンマン』のやなせたかし先生や『六三四の剣』の村上もとか先生、『鎌倉ものがたり』の西岸良平先生や『トリコ』の島袋光年氏や『風の谷のナウシカ』の宮崎駿氏の数多の作品からは、「われた者、そして呪われて生まれた者にも祝福できる慈悲」と「惻隠の心」と「」を尊ぶ思想、手塚治虫先生に対する敬意を感じますので、心の栄養となっています。








手塚治虫先生の戒め


基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない
戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない
特定の職業を虚仮にしてはならない
国民や社会的弱者を虚仮にしてはならない
作家は権力の側に立ってはならない