手塚治虫先生の『火の鳥』を私が初読してから30年以上たったことを思い出し、朝日新聞「be」では大地編の小説版が連載開始され、ポプラ社刊行の大林憲司氏が書いた小説版の『火の鳥・ヤマト編』と『火の鳥・鳳凰編』での「惻隠の心」と「」を大事にすることを解りやすく説かれたこともあり、火の鳥(ヤマト編)火の鳥(鳳凰編)はともに「不朽の名作」だと今でも思いますし、ヤマト・オグナも我王も自分の心の弱さと戦い続けるヒーローであると思っています。





『遊戯王』の主人公の1人である闇遊戯ことアテムは、『三つ目がとおる』の主人公・写楽保介と比べられることも多いですが、『火の鳥』少女クラブ版の男性主人公クラブと通じるものが在り、同時に『火の鳥 ヤマト編』の主人公・ヤマト・オグナ同様、憂鬱にもなるし、アテムが邪な事をする者に対して怒る姿はオグナやクラブと同じ強さと美しさがあり、高橋和希先生や手塚治虫先生が語る本当の強さとは「惻隠の心」と「」が必要である、と語っています。







コナミの『火の鳥鳳凰編 我王の冒険』の影響もありますが、『火の鳥・鳳凰編』の我王も少なくとも「権力に対する警鐘を鳴らす者」という点ではヤマト・オグナと同じ立ち位置であり、鳳凰像を作った茜丸を見ていると、茜丸の弱さと『半熟英雄』の2作目を作曲したすぎやまこういちが私には重なり『半熟英雄』シリーズで主題歌を歌うささきいさお氏がラジオドラマ版『火の鳥 鳳凰編』で茜丸を担当していたからこそ茜丸を非難することができたブチのような存在がすぎやまこういちにも必要だと思っています








沖縄の民意を無視して辺野古の海を汚し、原子力発電所の短所を理解できない上に「増税反対」と言っただけですぐ拒絶するような政治屋は心が弱いどころか、ソガ大王にさえ劣る金と権力に心を支配された哀れな存在だ、とヤマト・オグナや我王は呟くでしょう。




オグナも我王も、剣道を嗜んでいる私よりも心が強い人物であることは確実ですから。