昨日は休日出勤日で、8時30分到着の日でしたが、朝は同居先での他の方の行動と自分の行動が重なる場面も多く、勤務中も指示待ちの人もいたり、狭い場所での動きを工夫する意思がはっきりしていない人もいたので、周囲の振り回され、落ち着けなくなってしまいましたが、帰宅時にカードショップに立ち寄りました。
『遊戯王OCG』では「捕食植物」デッキの改善をするために「捕食植物」カードを購入し、『ガンダムトライエイジ』では以前投稿した「ガンダムトライエイジ憂鬱憤怒録」で綴った、「悲劇のヒロイン」であるマリーダやエルピーやシーマがパーフェクトレアになる万が一の場合に備え、コモンカードやレアカードでのネットワークマッチングでの放流用カードの購入と、好きなモビルスーツやキャラクターでマスターレア・キャンペーンレアのカードを購入してきました(無論マリーダがバナージとの絆カウンター持ちでパーフェクトレアになった場合は、マリーダのファンを顧みない黒獅子道場の撤廃を訴えつつ復帰確定です)。
『ガンダムトライエイジ』のデルタウォー第1弾のデビルガンダムに関する証言は、とにかく重い。特に地球から見た人間という点に関しては、シーマやアインを愛さない関西リョウジではない別の人が文章を担当したとしか思えません(プル姉妹のファンやマリーダのファンにとってデビルガンダムよりも、人間の方が恐ろしいし、特に福井晴敏って愚かで醜いですね)。

『ガンダムトライエイジ』にて、何気にデビルガンダムが、Gコマンダーがパイロットを任意に組み合わせられるコモンカードとなったのは初登場してから5年も経っています(デビルガンダムがカード化したのは3年位前です)
『機動戦士ガンダムAGE』でのフェザール・イゼルカントの名言である
我々は死ぬことが悲しいのではない。
人として生きられないのが悲しいのだ。
この言葉もまた重い言葉であるのに軽んじられる現実からは、「イゼルカントを悪意の象徴だと思い込むことは、フリット・アスノを悪意の象徴であると思い込むことであり、この世から「惻隠の心」と「仁義礼智信」が失われつつある嘆かわしい堕落ぶり」だと感じてしまいます(イゼルカントもキオ編フリットも、パーフェクトレアになってほしいものです)。
私が好きな漫画の1つである『鎌倉ものがたり』の第14巻「横須賀ストーリー」での「米軍で剣道をやっている奴は珍しい」という発言がありますが、私も米軍で剣道を嗜む人の話は未だに聞いていませんし、核兵器を投下し、剣道の良さを理解せず剣道に対する偏見のせいで剣道ができない期間があった事と、ベトナムをはじめとした国々で自然を汚し、沖縄に住む人々に対する敬意を持たず、沖縄の自然を汚し沖縄に住ん民の心を傷つける米軍なんて、地球や沖縄の人からしたら、デビルガンダムのほうがマシで、同様に、沖縄の民意を顧みない安倍政権なんて、マリーダ達プル姉妹やシーマやアンジェロやゾルタンを救おうとせず押し付け使い捨てにするジオンや、ヴェイガンの民を見捨てた地球人と同類の恥知らずです。
政治屋の弱者に対する敬意の無い愚挙と、米軍の自然を汚す姿から見えるものは、自分を、自分たちを正義であると思い込む傲りと怠惰がもたらすのは、「他人にはやたら手厳しい癖に自分に関しては甘くなり」、「意見が異なる人々と話し合いをしようとする勇気と優しさを失い、障害を持っている人々や社会的弱者をどれだけ叩いても問題無いという無責任な発想や風潮を伝播させ」、「誰かが何らかの間違いを犯したり、あるいはそういう行いをしたという疑いが掛かった際、その人間を必要以上に厳しく言葉や暴力を行使してまで責め立てようとするが、その動機は憂さ晴らしに近く、正義感といった真っ当な感情とは程遠いもの」に満ち、「自分の正当性を証明したい」、「他人の足を引っ張る事で安心感を得たい」といった極めて幼稚な動機に心が支配されるマンネリ化だと私は想います。
周囲の振り回され、落ち着けなくなってしまう私も、剣士としてまだ未熟で自戒しなくてはなりませんが、自らの邪な考えで他者(他の生き物も含む)に迷惑をかけ、他者の人生をめちゃくちゃにして平然とする奴は政治屋だろうと小学生だろうと中学生だろうと安易に許すと、人間の世界だけでなく、地球もめちゃくちゃになってしまいます。
上記の現実世界の状況を見ていると、障害を持っている人々や社会的弱者に対する「惻隠の心」と「仁義礼智信」が微塵も無い悲劇と不幸の繰り返しの悪夢というマンネリばかりしている状況というのは、『機動武闘伝Gガンダム』絡みで今年の9月2日で20周年となる『フロントミッション3』のタイトル場面での「人類は何も学ばない」という言葉に納得してしまいますし、エマ編エンディングの和輝の発言は剣道家としての「惻隠の心」と「仁義礼智信」を醸し出し、手塚治虫の戒めを語っているかのようでもあります。
本当の平和というものは、命令されて行うものでもありませんし、たとえ退屈であっても「平和」という言葉を隠れ蓑にして、他者や大自然を含む命や心に苦痛を押し付け使い捨てにする陰湿な愚行をしてはならない、真剣に人権を尊重できる心の強さによってなせるものであると、『鎌倉ものがたり』でも語られていています。
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
惻隠(そくいん)の情:
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」
手塚治虫先生の戒め
「基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない」
「戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない」
「特定の職業を虚仮にしてはならない」
「国民や社会的弱者を虚仮にしてはならない」
「作家は権力の側に立ってはならない」