今回の投稿は、『地球を呑む』を読みながらの続きとなります。
手塚治虫の『地球を呑む』を「レヴィアタン」が開催する仮面舞踏会(マスカレード)を風刺した物語として解釈すると、『地球を呑む』は前回の記事で「8つの枢要罪と現実世界」に関する問題提起をした重い内容の作品と綴りましたが、「8つの枢要罪」には「嫉妬」が無いという点も知られており、「嫉妬」と関連深い悪魔とされるのは、「レヴィアタン」です。
「レヴィアタン」は「リヴァイアサン」とも呼ばれ、ホップズ著である「リヴァイアサン」という本では、国家は人々の権利(自然権)を一つの存在に委ねた結果誕生し、その権力は絶対的だという内容であり、『地球を呑む』において「法律への報復」とは、「法律は悪用してはならないもの」であり、法律を悪用する国家権力への警鐘でもあるため、「レヴィアタン」という嫉妬心を高める「リヴァイアサン」への戒めであり、『地球を呑む』本編でも「(『地球を呑む』における)法律」以外の「嫉妬」は少ししか醸し出されておらず、他の「8つの枢要罪」程大きくは取り上げられていません。
また、「仮面舞踏会(マスカレード)」は中世においては、半ば匿名でハメを外せる場であったことから、風紀の乱れの原因や、虚偽の象徴ともされますし、人工皮膚「デルモイドZ」が用いられることによって、第12章「スケルツオ」や第13章「アダジオ・モデラート」では「仮面舞踏会」を示唆する要素もあります。

祖のゼフィルスの遺言。
厳しい言葉に満ちた発言ですが、我々に対する戒めでもあります。金は欲の暴走を示唆し、法律は悪用してはならないものであり、「男」に関しては、安易な肉体の愛ではなく、真摯な愛を尊ぶが故の怒りを感じさせることで問題提起しています。
手塚治虫は
「基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない」
「戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない」
「特定の職業を虚仮にしてはならない」
「国民や社会的弱者を虚仮にしてはならない」
と穏やかな西風の女神であり、蝶の名前でもある祖のゼフィルスを通して語っているかのようです。


ミルダと主人公である関五本松、リーザとヘンリー・オネガーの愛の物語は、男女対等の真摯な愛であり、痛みを伴う愛(アガペーであり、アガーペインでもある)としてもかかれています。

特に評価の高いエピソードである第13章「アダジオ・モデラート」は、マクローイ家の人が「虚飾」と向き合う物語であり、「傲慢」に抗う「憤怒」と我々に「もしも」を想像させる真摯な愛と「惻隠の心」と「仁義礼智信」について考えることができ、「8つの枢要罪」に屈し「虚飾」の要素を併せ持つ「デルモイドZ」を利用したとある青年の物語が描かれた第12章「スケルツオ」とは1組の問いになっているからだと私は思います。
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
惻隠(そくいん)の情:
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」

今回の語りの終わりに
『地球を呑む』というタイトルからは、『真・女神転生Ⅲ』をプレイした後である今ですと、インド神話の1つである『マハーバーラタ』に登場するアスラの1柱である、「酔わせるもの」という意味を名とした「マダ」を連想します。
「マダ」はチヤヴァナ仙に創造され、大きな歯と4本の牙を持ち、その口を開けば上顎が天まで届き、地球を呑みこむことができるという、雷神であるインドラに対抗できる数少ない存在という設定で、「マダ」を絡めることで『地球を呑む』の終盤の展開に関する考察もできるかもしれません。

『地球を呑む』で語られたディオニュソスとミダス王の寓話。


「宝の持ち腐れ」という言葉
余談ですが、『地球を呑む』においてのハムエッグは、『アトム今昔物語』や『アドルフに告ぐ』での陰湿な愚挙を見た後ですと、「スターシステム」とはいえど、少し気の毒に感じさせるものが在ります。
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